✍️「私のせいではない――医師の独白」

あの日の手術は、私のキャリアの中でも難しいものではなかった。
もちろんリスクはあった。だが、それはどんな外科医にも避けられない“偶然”の範疇だ。

術後、患者に下半身麻痺が残ったと聞かされたとき、私の胸に広がったのは同情ではなく、苛立ちだった。
――またか。医学の限界を理解しようとしない家族が、私を責めるのだろう。

病院のカンファレンスでは、私は冷静に言った。
「ドリルの操作は適正でした。合併症として説明済みのリスクにすぎません」
それ以上の言葉は不要だった。認めれば終わりだ。医師のキャリアも、病院の信用も、一瞬で崩れる。

家族は「説明を受けていない」と声を荒げた。
しかし私は心の中で吐き捨てた。――同意書にサインしただろう?書面こそが真実だ。記憶や感情など、法廷では意味を持たない。

裁判が始まっても、私は姿勢を崩さなかった。
「不可避のリスク」「術前説明済み」――この二つを繰り返せばよい。

夜、自室の鏡に映る自分を見つめる。
白衣の下の私は、果たして人の命を救う者か、それともただの“病院を守る兵士”か。
だが答えは決まっている。――私は間違っていない。私のせいではない。

※本記事の冒頭ストーリーは、実際の判例をもとにしたフィクションです。
実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。

🚨 神戸地裁、市立病院の医療過誤を認定

2025年5月14日、神戸地方裁判所姫路支部は、市立病院での腰椎手術をめぐる医療事故訴訟で、執刀医と病院を運営する市に対し、患者とその家族に合計約8,900万円の賠償を命じる判決を下しました。

手術中にドリルで脊髄の神経が切断され、患者が両下肢麻痺と重度の後遺障害を負うという衝撃的な事故。
この裁判は、単なる「一医師のミス」を超え、医療安全体制の不備、病院組織の責任、そして事故後の対応のあり方を社会に問いかけるものとなりました。


🔍 事故の経緯:腰椎手術で起きた取り返しのつかないミス

原告の女性(当時74歳)は、腰部脊柱管狭窄症の治療のため、市立病院で腰椎後方除圧術を受けました。
しかし、執刀した医師は、出血で視野が不十分な中、止血を怠ったままドリル(スチールバー)を使用。
その結果、馬尾神経を複数本切断してしまいました。

患者は直後から両下肢の麻痺、自力歩行の不可能、膀胱直腸障害、そして耐え難い神経障害性疼痛に苦しむこととなり、症状は回復不能と診断されました。

裁判所は判決で、執刀医の手技について 「注意義務違反の程度は著しい」 と断定。
未熟な技量や安全配慮を欠いた判断が、不可逆的な障害をもたらしたと厳しく指摘しました。


📘 病院組織の責任:監督不十分と誠実さを欠く対応

本件が注目されるのは、医師個人だけでなく、病院を運営する市にも責任が認定された点です。

  • 執刀医は着任から短期間で複数の重大事故に関与していた。
  • 病院の医療安全体制は機能不全と評価された。
  • 事故後の謝罪や調査の公表が遅れ、患者・家族への説明が誠実さを欠いた。

病院は事故後、被害者や遺族に対する情報開示や謝罪を遅らせ、記者会見で公に謝罪したのは事故から2年以上も経過した後でした。
この 「遅延」と「不十分さ」 は、裁判所が慰謝料を増額する根拠として認定しています。


💡 「転院勧奨」の影――患者の心情に寄り添わなかった対応

患者が重度の後遺障害を負ったまま長期入院している中で、病院は退院や転院を強く勧めました。
判決は「強引とまでは言えない」としつつも、病院の対応が家族に強い不信感を与え、精神的苦痛を増幅させた点を否定しませんでした。

医療事故後の対応が、被害者にとって、いかに重要かを示す象徴的な場面といえます。


🧭 社会が問われる三つの論点

  1. 医師個人に責任を押し付けない
    執刀医の過失は明白ですが、問題はそれだけではありません。経験不足の医師に重大手術を任せた病院の判断、監督体制の甘さが事故を招いたのです。医療事故は「個人のミス」ではなく、組織の安全文化の欠如として捉える必要があります。
  2. 事故後の対応が被害者の苦痛を左右する
    判決は、事故後の遅れた謝罪や説明不足を「慰謝料増額事由」として評価しました。医療機関にとって、事故そのものをゼロにすることは難しいとしても、その後の誠実な対応が信頼回復の鍵を握ります。
  3. 公共病院のガバナンス問題
    市立病院は地域医療の要ですが、医療安全の不備が続けば市民の信頼を失います。判決は、自治体病院に対しても企業と同様の 「組織責任」 を強く求めたといえるでしょう。

🧩 医療事故は「明日の私たち」の問題

脊椎疾患の手術は高齢化に伴い増加しています。
誰もが患者になり得る時代に、医療の安全と信頼は社会基盤そのものです。

この判例は、医療従事者や病院経営者だけでなく、市民一人ひとりに「事故が起きたとき、どう向き合うか」を問いかけています。

「誠実な説明と安全体制なくして、医療の信頼はあり得ない。」
私自身、本当にそう思います。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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