令和6年8月8日名古屋地方裁判所民事第5部/令和5年(ワ)3732号 削除請求事件
Man concentrates on a laptop at a cluttered workbench in a dimly lit electronics workshop with shelves behind him

🖥️ 検索結果に張り付いた、消えない過去

「田村さん、御社との取引の件ですが……少し検討させてください」

中古パソコンの買取・販売事業を新たに立ち上げようとしていた田村さん(仮名)は、電話の向こうの声のトーンが変わったことに気づきました。

数日前、その取引先の担当者が「念のため」と田村さんの名前で検索をかけたのです。表示されたのは、10年以上前に書かれた1本のブログ記事でした。

タイトルには「倒産詐欺」の文字。かつて田村さんが代表を務めていた会社が、元本保証・高配当をうたって資金を集めた末に事業を停止した——そんな内容の告発記事です。

たしかに、事実です。田村さんはその件で有罪判決を受けました。
出資法違反。懲役2年、執行猶予5年。

けれど、判決から9年半。執行猶予の期間はとうに満了し、刑の言い渡しはすでに効力を失っています。
離婚を経験し、知人宅に身を寄せながら、田村さんは静かに人生を立て直してきました。中古パソコン販売という、地道な、しかし堅実な再出発です。

それなのに——検索すれば、いつでもあの記事が出てくる。「詐欺のような」「詐欺の可能性が高い」という強い言葉とともに。

(もう10年も前のことだ。償いも終えた。それなのに、いつまでこの記事に人生を縛られなければならないんだ……)

田村さんは、ブログサービスの運営会社を相手に、記事の削除を求めて提訴しました。

📌 本記事の冒頭ストーリーは、実際の判例を参考に再構成したフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

⚖️ 「意見・論評」による名誉毀損は、ハードルが高い

このケース、まず押さえておくべきは、名誉毀損の表現には2つの型があるということです。

①事実の摘示型:「田村は詐欺をした」と断定する
②意見・論評型:「詐欺のようだ」「詐欺の可能性が高い」と評価を述べる

本件記事は後者、②の「意見・論評」型でした。この場合、削除(差止め)が認められるハードルは非常に高く設定されています。

最一小判平成元年12月21日の枠組み
意見・論評による名誉毀損は、以下のすべてを満たさない限り、削除は認められない

  1. 公共の利害に関する事項であること
  2. 前提となる事実の重要な部分が真実であること
  3. 人身攻撃に及ぶなど、論評としての域を逸脱していないこと

田村さんのケースでは、この3条件は「掲載当時」はすべて満たされていました。
有罪判決という客観的事実があり、社会的影響も大きく、内容も過度な人身攻撃ではなかったからです。

普通に考えれば、ここで請求棄却です。
しかし、裁判所は次の一歩を踏み込みました。掲載当時は適法だった記事でも、その後の時間の経過によって、削除請求が認められる状態になることがある——という考え方です。

⚖️ 時間の経過とともに、「公共の利害」も再評価される

裁判所が示したのは、公共の利害に関する事項かどうかも、掲載時だけで固定されるわけではなく、裁判時点でも改めて判断されるという考え方です。

「本件記事が前提とする本件会社の上記行為に係る事実は……もはや公共の利害に関する事項に係るものとはいえないことが明白であると認めるのが相当である」

裁判所が重視した事情は、次の4点でした。

  1. 刑の言い渡しが、すでに効力を失っていること(執行猶予が取り消されず5年経過)
  2. 記事が根拠とした新聞報道自体が、すでにネット上で閲覧できなくなっていること
  3. 記事は「速報」目的で書かれたものであり、10年以上先まで閲覧され続けることを想定して書かれたとは考えにくいこと
  4. 原告が公的な立場(政治家や公務員など)にある者ではないこと

これらを総合し、裁判所は「掲載から11年以上、有罪判決からも9年半以上が経過した現時点では、もはや公衆が正当に関心を持つべき事項とはいえない」と判断しました。

そして最後の一押しとなったのが「回復困難な損害」の要件です。
裁判所は、田村さんが今後事業を営もうとする際、取引先が検索によってこの記事に到達し、取引を避ける可能性を「単なる抽象的な可能性にとどまらず、十分に現実的なもの」と評価し、削除請求を認容しました。

現実:「消せる」は「消える」ではない。個別事情の積み重ねが必要

この判決を読んで「10年経てば何でも消せる」と早合点するのは危険です。
裁判所が重視したのは、「10年」という年数そのものではなく、その間に公共性が失われたと評価できる具体的事情が積み重なっていたことでした。

  • 刑の効力が失われていること(=法的にも「過去のもの」として扱われる状態になっていること)
  • 元となった報道自体がすでにネット上から消えていること
  • 対象者が公人ではないこと
  • 記事自体が「速報性」を前提とした書き方だったこと

もし田村さんが今も出資金を回収していない、あるいは同種の事業を続けていたら?
判決は「かなり違う結論になっていた可能性があります」。実際、裁判所は「本件会社が依然として存続していること」自体は結論を左右しないとしつつも、「出資の受入れを行っているような事情はうかがわれない」ことを一つの理由として挙げています。
過去の清算が進んでいるかどうかが、静かに効いているのです。

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

「事実」であることは、「永遠に公表していい」ことを意味しません

多くの人が誤解していることですが、「書かれている内容が事実(あるいは事実に基づく論評)である」ことと、「その内容をいつまでも公表し続けていい」ことは、まったく別の問題です。

この判決が示したのは、表現の自由と個人の更生・社会復帰の利益は、時間の経過とともにバランスが変化するという考え方です。掲載された瞬間に「適法」の烙印を押された記事であっても、その適法性は永久保証書ではありません。

これは令和4年の最高裁判決(逮捕歴に関するツイート削除事件)とも軌を一にする流れです。
インターネットは「一度記録されると、意図的に削除するまで半永久的に閲覧可能な状態が続く」という特殊な性質を持っています。だからこそ、裁判所は「その情報を今も公開し続ける社会的意義があるか」を、掲載時点ではなく現時点で問い直す必要があると考えたのです。

一方で、この判決は「消せば済む」という安易なメッセージでもありません。
田村さんが削除を勝ち取れたのは、執行猶予期間を無事に満了し、事業を清算し、静かに人生を立て直してきた実績があったからです。もし今も同じ手口で事業を続けていたら、この判決は真逆の結論になっていた可能性が高いでしょう。

時間は、忘れさせる力ではありません。裁判所が見ているのは、その時間の中で社会的な関心が本当に失われたか、そして本人がどのように歩んできたかです。
ネット上の記事は、書いた側の責任と同じくらい、書かれた側がその後どう歩んできたかによって、扱いが変わるのです。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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