Woman sits at a wooden table in a sunlit kitchen, gazing at a closed envelope on the table.

💸 「動けない」のではなく、「動き方を知らない」だけだった

「別居したいんです。でも、お金が怖くて……」

梅雨の時期の相談室。恵子さん(仮名・38歳)は、両手をひざの上で重ねたまま、そう言葉を絞り出しました。

夫のモラハラは5年以上続いていました。些細なことで怒鳴られ、家計の管理は完全に夫が握り、恵子さんの手元には毎月3万円だけが渡される生活。

財布の中には、千円札が数枚と小銭だけ。子どもの給食費の引き落としは来週に迫っていました。それでも夫は、「生活費は渡しているだろ」と言うのです。

「子どもが2人いるのに、3万円では足りない日もあります。でも私は今、仕事をしていないから……。夫のもとを出たら、生きていけないんじゃないかって」

恵子さんが「怖い」と感じているのは、夫ではなく、お金でした。

でも、その恐怖は「正しい知識」を持てば、根拠のないものだとわかります。

⚖️ 婚姻費用とは何か——「別居中も、夫婦はお金を分け合う義務がある」

民法760条は、こう定めています。

夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。

つまり、離婚が成立するまでの間、夫婦は互いの生活費を分担しなければならないのです。
これを「婚姻費用」と言います。

別居していても、この義務は消えません。収入の少ない側——多くの場合は専業主婦や、育休中の妻——が、収入の多い相手に対して生活費を請求できる、これが婚姻費用分担請求です。

ポイントは2つあります。

別居した瞬間から請求できる
実務上、相手に請求した時点以降の分が認められるのが原則です。
別居から時間が経てば経つほど、もらえたはずのお金が消えていきます。別居を決断したその日に、動くことが正解です。

子どもの養育費も含まれる
婚姻費用には、自分の生活費だけでなく、子どもの養育にかかる費用も含まれます。別居中は「婚姻費用」として一括で請求するのが実務上の流れです。

💡 金額はどうやって決まるのか——「算定表」という武器

婚姻費用の金額は、裁判所が公表している「婚姻費用算定表」をもとに決まります。
双方の年収と、子どもの人数・年齢を表に当てはめると、裁判所が認める金額の「相場」がわかる仕組みです。

たとえば、夫の年収が600万円、恵子さん(妻)の年収がゼロ、子どもが2人(10歳・7歳)の場合、算定表上の婚姻費用は月額12〜14万円程度が相場となります。

恵子さんが夫から渡されていた月3万円との差は歴然としています。

ただし、算定表はあくまで「目安」です。住宅ローンの負担関係、子どもの教育費、特別な医療費といった個別事情によって、増減が認められることがあります。

🔥 払ってくれない相手への対抗手段

「請求したら、夫が無視しました」
これも、よくある話です。しかし、相手が支払いを拒んでも、手詰まりにはなりません。

ステップ① 調停の申立て(家庭裁判所)

婚姻費用は、まず家庭裁判所に「婚姻費用分担調停」を申し立てます。
調停で合意できれば、その内容は「調停調書」となり、強制執行力を持ちます。

ステップ② 審判への移行

調停が不成立でも、そのまま「審判」に移行し、裁判官が金額を決定します。
算定表に基づく相場であれば、ほぼその通りの金額が命じられます。

ステップ③ 強制執行——給与の差し押さえ

審判や調停調書があるにもかかわらず、相手が支払わない場合は、相手の給与を差し押さえることができます。
会社員であれば、勤務先に裁判所から通知が届き、給与の一部が直接こちらに支払われる仕組みです。

相手が「払わない」と決め込んでも、逃げ場はほとんどありません。

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

「お金が怖くて動けない」は、相手の思うツボです

婚姻費用という制度を知らないまま、経済的な恐怖だけを抱えて「別居できない」と縮こまっている人を、私はこれまで何人も見てきました。

しかし、法律は「経済力のある側が、経済力のない側を追い詰める道具」として機能することを認めていません。
婚姻費用の制度は、まさにそのためにあります。

一つだけ、覚えておいてください。

婚姻費用は、請求した日からしか遡れません。

「いつかまとめて請求しよう」と思っているうちに、別居期間だけが積み上がっていく——これが最もよくある「損の仕方」です。別居を決断したその瞬間に、速やかに専門家へ相談することが、あなたの生活を守る最初の一手です。

「別居できないのではない。請求の仕方を知らなかっただけだ」——そう気づいた恵子さんは、相談室を出るとき、少しだけ顔を上げていました。

動かない時間が、あなたの権利を削っています。

🌿 次回予告

「財産分与は2分の1が原則って聞いたけど、専業主婦だった私は本当に半分もらえるの?」「夫名義の財産、ちゃんと全部見えているのかしら……」

次回は、離婚のお金の問題で最も誤解が多い「財産分与」について。2分の1ルールの本当の意味と、隠し財産に気づく方法、そして令和6年改正で何が変わったのかをお話しします。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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