仏像の返還と「取得時効」──文化財と法が交差する所有権争い

⚖️ 法律コラム
2012年10月、韓国の窃盗団によって長崎県対馬市・観音寺から盗まれた、県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」。
あれから12年以上——。
様々な法的・外交的な曲折を経て、ついに今月10日、韓国・忠清南道瑞山市の浮石寺で日本側へ引き渡されることとなり、12日には対馬に戻る予定との報道に接しました。
この出来事を踏まえ、本稿では文化財返還をめぐる法的論点について考えてみたいと思います。
📌 事件の概要
2012年10月8日、韓国の窃盗団が対馬市の観音寺から県有形文化財「観世音菩薩坐像」を盗み出し、韓国内で発見され、押収されました。これに対し、韓国の浮石寺は、「14世紀に倭寇に略奪された仏像だ」と主張し、自寺の所有物であるとして、韓国政府を相手に、動産引渡しの民事訴訟を、韓国の大田(テジョン)地方法務院におこしました。一方で観音寺は、日本民法に基づく取得時効により所有権を取得済みと主張しました。
一審の大田地方法務院は、浮石寺の主張を認め、当該仏像を浮石寺に引き渡すことを命じる判決をし、国側が、大田高等法務院に控訴し、大田高等法院は、該仏像に関する観音寺の取得時効が成立しているとして、2023 年2月1日に、国側勝訴の控訴審判決を下しました。浮石寺は上告し、2023年10月26日、韓国大法院は観音寺の所有権を認める最終判決を下し、2025年5月、仏像はついに観音寺へと返還された。
⚖ 所有権争いの核心:「取得時効」
本件では、仏像が誰に帰属するか(所有権)が最大の争点だった。
そして、所有権の帰属を判断する上で中心的な法概念が「取得時効」である。
✅ 日本民法 第162条(取得時効)要件
- 所有の意思による占有
- 平穏かつ公然の占有
- 一定期間(善意無過失で10年、それ以外は20年)
🥋 観音寺と浮石寺の主張比較
観点 | 浮石寺の主張 | 観音寺の主張 |
---|---|---|
取得の経緯 | 14世紀の倭寇により略奪された | 正当な手段で取得した可能性があり、近代以降は実質的に占有していた |
占有の態様 | 略奪品に正当な占有権はない | 宗教的活動に使用し、社会的にも公然に長期間占有していた |
時効成立の可否 | 不法取得物には時効は適用されない | 所有の意思をもって1953年から占有を開始し、20年の取得時効が完成している |
🏛 判決の要旨(大田高等法院・2023年2月1日)
- 仏像が14世紀に略奪されたことの直接的証拠は不十分
- 観音寺は1953年1月26日の法人化時点で「所有意思をもって、平穏かつ公然に」占有していた
- この占有は自主占有として認められ、20年の経過により、1973年1月26日に取得時効が完成した
🌐 準拠法の選択と国際私法的視点
本件においては、韓国で裁判が行われたが、準拠法は「日本法」とされた。これは、旧「渉外私法第12条」により「動産及び不動産に関する物権その他登記しなければならない権利は、その目的物の所在地法による」とされていたためである。
仏像が日本に所在し、時効完成時点でも日本国内にあったことから、日本法が適用されることに疑いはない。
📌 要件事実と立証責任
取得時効の成立において、観音寺側が主張・立証すべき事実と、浮石寺側が反証すべきポイントは次のとおり
要件 | 法的根拠 | 立証責任 |
所有意思・平穏・公然の占有 | 民法186条1項で推定される | 浮石寺が反証 |
占有の継続性 | 民法186条2項により始期と終期のみで足りる | 中断の立証は浮石寺 |
善意・無過失(10年時効の場合) | 民法162条2項 | 観音寺が立証要 |
※もっとも、本件で認定されたのは「20年の取得時効」であり、善意・無過失の立証は争点となっていなかった。
⚖ 弁護士の視点から
本件は、文化財の保護と法的所有権の対立が可視化された事例といえます。
特に、民法上の「占有」がもつ法的意味――それが何百年におよぶ文化的記憶とどう折り合うか――が問われました。
韓国の最高法務院は、長年の占有に基づく所有権の安定を重視し、返還請求を退けた大田高等法務院の判断を受入れ、浮石寺の上告を棄却しました。このこと自体は、取得時効の制度がある以上、ある意味当然のことと言えます。所有の意思(自主占有)があることは、法律上推認されることであり、これに反証する責任が、取得時効の成否を争う側にあるためです。
今後も、国際的な文化財返還をめぐる訴訟において、取得時効制度の適用可否が重要な争点となる可能性がありますが、本件は、韓国司法が日本法を準拠法として公正に評価し、正義と実態の両立を試みた判断として先例的価値があると考えます。