⚖ 法律コラム

2022年7月、奈良市内で安倍晋三元首相が銃撃され、命を落とした事件。
日本中に衝撃を与えたこの出来事の刑事裁判が、2025年10月28日に奈良地裁で始まる見込みとなりました。
報道によれば、弁護側は、殺意があったと認めたうえで、母親の多額献金による家庭崩壊などの背景事情を踏まえ、情状酌量を求める方針とのことです。
本稿では、刑事弁護の視点から、本件が内包する法的争点と今後の注目点を整理したいと思います。

📎 事件の概要

本件は、2022年7月、奈良市で遊説中だった安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した事件である。
容疑者として現行犯逮捕された山上徹也被告は、母親の宗教団体への多額献金と、それにより崩壊した家庭環境を背景に、政治家と当該団体との関係性に恨みを抱いていたとされる。
社会的影響は極めて大きく、宗教・政治・司法・社会心理など、多面的な議論を呼ぶ事件となった。


📌 事件の時系列

日付出来事
2022年7月8日奈良市で安倍元首相が銃撃され死亡。山上徹也被告が現行犯逮捕
同年7月下旬犯行動機が「宗教団体と家庭崩壊への恨み」と報道される
2022年8月奈良地裁が精神鑑定を命じ、約5ヶ月勾留延長
2023年1月「責任能力あり」との鑑定結果に基づき奈良地検が起訴
2025年5月弁護側が殺意および責任能力を認める方針を表明
2025年10月28日(予定)初公判(奈良地裁)

⚖ 責任能力と量刑の関係

刑法第39条では、精神障害のある被告人に対して刑事責任を制限する枠組みが設けられている。

分類定義法的効果
完全責任能力判断・制御が通常通り可能通常の刑事責任
心神耗弱判断・制御が著しく減退有罪+減軽(刑法39条2項)
心神喪失判断・制御が不能無罪(刑法39条1項)

本件では、鑑定結果により「完全責任能力あり」とされたうえ、2025年5月には弁護側もこれを認める方針を明らかにした。

つまり、裁判では「刑事責任の有無」よりも、「どのような量刑が妥当か」が争点となる可能性が高い。


📂 証拠整理と審理の長期化

起訴から公判までに2年以上を要しているのは、以下のような事情があると考えられる。

  • 精神鑑定による勾留延長(5ヶ月)
  • 公判前整理手続における証拠調整の複雑さ
  • 社会的注目度が高く、慎重な進行が求められる

証拠としては、防犯映像、証人尋問、被告人の供述録取書、手製銃の構造と射程、動機に関するSNSやメモなどが想定される。


⚖ 量刑判断と犯行動機の評価

安倍元首相は、元内閣総理大臣という国政上の極めて重要な立場にあった人物である。
殺人罪(刑法199条)の法定刑は以下の通り。

  • 死刑 無期懲役 有期懲役(5年以上)

ただし、量刑判断には以下のような要素が複雑に絡む:

判断材料量刑への影響
公人(総理経験者)を狙った点社会的影響が極めて大きく、加重事由となりうる
宗教団体への恨みからの計画的犯行動機に特殊性があるが、同情論との評価も分かれる
自作銃を用いた射殺高度な計画性・危険性があり、加重要素
鑑定結果に基づく完全責任能力減軽は困難であると見られる

🔧 手製銃と発射罪の関係

山上被告が使用したのは、市販部品などを用いて製作された「手製銃」である。
銃刀法の「発射罪」が適用されるのは、従来は「拳銃等」に限られていたため、事件当時は手製銃のすべてが対象とならなかった。
この事案を契機に、警察庁は2023年末に銃刀法の改正案を発表し、2024年6月に銃刀法は改正され、電磁石銃の所持規制や、猟銃等(猟銃・空気銃・クロスボウ)の所持に関する制度変更、拳銃等の不法所持等を、公然と、あおり、またはそそのかす行為に対し、罰則が科せられることになった。

https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/hoan/r6jutohokaisei/index.html


📊 比較される他の重大事件と量刑

事件犯行態様社会的影響判決
永山則夫事件銃による連続殺人無差別・冷酷性死刑
宅間守事件小学校無差別殺傷子どもを狙う残虐性死刑
加藤智大事件秋葉原通り魔事件計画性+都市型脅威死刑
山上徹也事件公人暗殺・動機に宗教的背景政治的象徴性+社会的衝撃死刑または無期の可能性

本件は無差別殺人ではないが、「民主主義への挑戦」ともとられうる要素が強く、今後の判決には大きな社会的意義が生まれるだろう。


🔍 今後の注目点

  • 初公判(2025年10月28日)での被告人の供述
  • 裁判員制度のもとで、一般市民がどのような評価を下すか
  • 判決における「動機の特殊性」と「社会的影響」の扱い

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

この公判は、単に「一人の殺人犯を裁く」場ではありません。
それは、「なぜ、この国で、元首相が、このような形で命を落とさなければならなかったのか」という、
社会全体の根源的な問いに対する――「量刑という名の回答」を示す場でもあります。

弁護側は殺意を認めた上で、「情状酌量」を求める方針をとっています。
そこにあるのは、「行為の重大性」と「動機の特殊な背景」という、
相容れない二つの要素を天秤にかける、司法への難題です。

法は、暴力による訴えを断じて許しません。
殺人罪の結果は重大であり、死刑または無期懲役という極刑が視野に入ります。
しかし、刑法の精神は、「ただ罰すること」ではなく、「その者を社会にどう位置づけ直すか」という、
人間的再統合の可能性を探ることにあります。

山上被告の動機の根底にあるのは、
宗教団体への多額献金による家庭崩壊という現実的悲劇でした。
それは、個人の絶望であると同時に、
日本社会が抱えてきた構造的な闇「宗教と政治、そして家族」という複雑な交差点を映し出しています。

👉 この事件では、「個人的な復讐」と「公人への攻撃」という二律背反がせめぎ合います。
裁判員として参加する市民が、どのようにその狭間に立ち、
「人としての理解」と「社会の秩序維持」という両立不能の要請にどう向き合うのか。
それこそが、今回の最大の焦点です。

裁判とは、感情を冷却し、事実を整え、社会に再び秩序をもたらす営みです。
しかし、この事件が突きつけているのは、
「法が正義を独占できるのか」という根源的な問いです。

私たち法律家は、「憎しみ」や「断罪」の感情に流されることなく、
「公人への犯罪が社会に与える影響」という冷静な法的評価と、
「個人をそこまで追い詰めた社会の責任」という人道的視点を、
一つの『量刑』という結論の中に調和させなければならない。

この裁判は、国家の権威を守るための場ではなく、
むしろ、社会が自らの闇を見つめ直すための「最後の対話の場」であるべきです。

法が冷たくも公正な理性で判断を下し、
それと同時に、人々の心が「なぜこうなったのか」を真摯に問う。
その両方がなければ、
私たちはまた同じ悲劇を、別の形で繰り返してしまうでしょう。

司法が憎しみの連鎖を断ち切り、
「罪」と「痛み」を社会全体で引き受ける第一歩となることを、
一人の弁護士として切に願っています。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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