📘裁判所は「もう終わっていた」と認めたか
──婚姻破綻の時点をめぐる不貞慰謝料請求のゆくえ

✨ 「何度か話すうちに、彼は言った──」
昭和62年の春、風のまだ冷たい夜だった。
私は、その日もスナックのカウンターに立っていた。
男がはじめて店に現れたのは、その頃だった。
スーツに身を包んだ静かな人──
とくに印象に残るわけではなかったけれど、どこか物腰の柔らかい人だった。
二度、三度と顔を出すうちに、少しずつ会話が増えていった。
お酒の話、仕事の話、子どもの話──
笑うこともあれば、ふっと黙り込む夜もあった。
ある夜、ふと彼が言った。
「……実は、妻のことがちょっとね。もうずいぶん会話もなくて……離婚する話も出てるんだ」
その時の声は、少し疲れていた。
無理に強がるでもなく、恨みがましいわけでもなく。
ただ、静かに、ぽつりとこぼれた本音のように思えた。
彼が、ひとりで暮らす部屋を用意していることも、
家を出るつもりでいることも、後になって少しずつ話してくれた。
私は、その言葉を信じた。嘘をついているようには思えなかった。
そして、彼が実際に家を出て暮らし始めたことを知ったとき──
私の心には、ようやく抑えていた感情が、そっと芽を出し始めていた。