「父の咳は、会社の倉庫から始まっていた」❓

最初に異変を感じたのは、父の咳が長引くようになった頃だった。
「ただの風邪だ」
父はそう言って笑っていた。だが、夜になると布団の中で咳き込み、息を詰まらせ、眠れぬ夜を過ごしていた。

やがて「石綿肺」と診断された。
父が運んでいた建材、その粉じんが肺に積もり続け、体を蝕んでいたのだ。
私たち家族は愕然とした。防じんマスクも、健康診断も、会社は何ひとつしてくれなかった。

父は28年間、建材卸売業者の倉庫で汗を流した。
アスベストを含む建材を自らトラックに積み込み、現場に下ろし、また倉庫で整理した。
会社からは「外注」だと扱われ、従業員ではないと言われ続けた。
けれど、父の働き方は社員と何ひとつ変わらなかった。

2008年、労災認定が下りたとき、父はすでに息を切らし、酸素吸入に頼る生活をしていた。
「なんで俺がこんな病気に……」
悔しさをにじませる声が、今も耳に残る。

そして2020年、父は静かに息を引き取った。
私たちはその日を境に、ただの遺族ではなく、原告となった。
「父が奪われたものを、黙って見過ごすわけにはいかない」

裁判の場で、会社は責任を否定し続けた。
「労働者ではなかった」
「粉じんは高濃度ではなかった」
父の28年を知る私たちからすれば、その言葉はあまりに空虚だった。

判決の日、裁判長の言葉が胸に響いた。
「被告会社は安全配慮義務を怠った」
父の闘病と死が、ただの偶然ではなく、会社の不作為によってもたらされたものだと認められたのだ。

判決が父を連れ戻すことはできない。
けれど、同じ苦しみを背負う人々の救いになるかもしれない。
私たち遺族が声を上げた意味は、そこにあるのだ。

――父の咳は、会社の倉庫から始まっていた。
その事実だけは、決して風化させない。

※本記事の冒頭ストーリーは、実際の判例をもとにしたフィクションです。
実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。

🚨 石綿肺で死亡、建材卸業者に損害賠償命令

2025年5月27日、大阪地方裁判所で、一つの重要な判決が下されました。
建材卸売業者の配送業務に長年従事していた男性が、アスベスト(石綿)を吸い込んで「石綿肺」を発症し、亡くなった事件について、裁判所は業者に損害賠償責任を認め、遺族に対して合計で約2475万円の支払いを命じる判決を下したのです。

この判決は、アスベスト被害の責任が建材メーカーや国だけにとどまらないことを明確に示した点で、大きな注目を集めています。
これまで見過ごされがちだった「流通段階」における企業の責任が、初めて厳しく問われたのです。


📘 どんな事件だったのか? 長年にわたる配送業務と悲劇

原告は、2020年に石綿肺で亡くなった男性の遺族。
男性は1970年から1999年までの約28年間、和歌山市内の建材卸売業者で配送業務に従事していました。

荷積み、現場での荷下ろし、倉庫内の在庫整理――
日常的にアスベスト粉じんにさらされていたのです。

2008年に「じん肺管理区分4」と診断。翌2009年には労災認定。
しかし、闘病の末、2020年に亡くなりました。
遺族は、会社の安全配慮義務違反を主張し、訴訟に踏み切ったのです。


🧩 業者側の主張と裁判所の判断

被告となった建材卸売業者は、全面的に責任を否定しました。主な反論は次の2点です。

  1. 男性は「外注業者」であり、労働者ではない:形式上は雇用関係になく、会社に安全配慮義務はない。
  2. 配送業務では高濃度のアスベスト粉じんにさらされない:アスベストばく露と男性の病気との因果関係を否定。

しかし、大阪地裁は、これらの主張を退け、遺族側の訴えを認めました。

1. 長期にわたるアスベストばく露を認定

倉庫内での積み込みや在庫整理作業、建設現場での荷下ろし時に大工らが石綿建材を切断する場面などを踏まえ、男性は約28年間にわたり相当濃度の石綿粉じんにばく露したと認定しました。

2. 実質的な雇用関係を認定

形式上は個人事業主でしたが、

  • 会社従業員の指揮監督を受けて勤務
  • 出勤や休日も社員と同様
  • 月給制に近い定額報酬

といった実態から、労働者と同様の立場にあったと判断しました。

3. 安全配慮義務違反

裁判所は、昭和50年頃にはアスベストの危険性は広く知られていたと指摘。にもかかわらず、被告会社は防じんマスクの着用指導や健康診断の実施を怠っており、安全配慮義務違反を認めました。

4. 賠償額

入通院慰謝料と死亡慰謝料を合わせて約2500万円と算定。ただし、長年の喫煙歴を考慮し1割を減額。最終的に、遺族2名に各1237万5000円、合計約2475万円の支払いを命じました。


🔍 最高裁判例との違いは? 屋内と屋外、そして「倉庫内」

この判決の重要性を理解するためには、2021年(令和3年)に下された最高裁判例(建設アスベスト訴訟)との比較が不可欠です。

最高裁は、屋内作業に従事した建設作業員に対する国や一部メーカーの責任を認めました
一方で、屋外の建設現場での作業については、危険性の予見が困難だったとして、賠償責任を否定しています。屋外は風通しが良く、粉じん濃度が薄まりやすいという特性が考慮されたのです。

今回の大阪地裁判決は、この流れを踏まえつつも、倉庫内での積み込みや在庫整理、大工が切断作業を行う現場での荷下ろしといった環境に着目しました。換気の悪い屋内に近い状況では、長期間にわたり高濃度のばく露が避けられなかったと判断したのです。

つまり、最高裁が「屋内」と「屋外」で判断を分けたのに対し、大阪地裁は流通・配送段階の「倉庫内」という特殊な環境における責任を新たに認めた点に意義があります。


💡 この判決が持つ社会的意義

今回の判決は、アスベスト被害が「製造・施工現場」だけでなく、流通や配送の段階でも発生することを改めて示しました。

  • 形式より実態を重視
    外注や請負であっても、実態が労働者なら安全配慮義務を負う。
  • 予見可能性を重視
    「知らなかった」では済まされない。

これは企業に対し、「形式ではなく現実を見よ」と迫る強いメッセージです。

また、国や大手メーカーだけでなく、中小の流通業者まで責任を及ぼすことで、
被害救済の裾野を広げる可能性を示しています。


✍️ 法と人の交差点から――
今回の判決は、一人の労働者の苦しみと死を通して、
社会全体が抱える「見えにくい責任」を照らし出しました。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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