痴漢行為と懲戒処分──「私生活の非行」はどこまで企業秩序に影響するか?

📌「バレたらクビなんです」──留置場で揺れる嘘と真実
留置場の奥、ガラス越しの接見室。
男は、手を小刻みに震わせながら弁護士を見つめていた。
精神的な混乱は、見た目以上に深いようだった。
「先生……これ、会社に知られたら……たぶん、終わりです。解雇ですよね……?」
弁護士は、沈黙のあと、静かに応じる。
「被疑事実は述べていないでしょうが、警察から会社に連絡はいっているでしょう。いずれにしろ、いずれ知られます。」
男は顔を伏せたまま、言葉を継ぐ。
「……だったら……“やってない”って言った方がいいんでしょうか。痴漢なんてしてないって──」
弁護士の表情が一瞬曇る。
そして、言葉を選びながら、はっきりと告げた。
「やっていないことを“やった”と認める必要はありません。でも、やったことを“やっていない”とは言わないでください。」
男が顔を上げる。
弁護士はその目を正面から見据えて続けた。
「いま大事なのは、“処分されないこと”ではなく、“自分の人生を守ること”です」
「痴漢が事実なら、示談や反省の意思を正しく伝えた方が、かえって企業からの処分も軽くなる可能性があります」
「逆に、嘘をついて捜査で矛盾が出れば、信用を失い、解雇だけでなく再起すら難しくなる。」
男は目を閉じた。
深く、長い沈黙が流れる。
「……じゃあ、正直に話すしか……ないんですかね」
「“正直”であることが、“損”とは限りませんよ。」
弁護士はそう言って、ゆっくりと資料のファイルを閉じた。
声を荒げず、脅すことも慰めることもなく──
ただ一人の人間として、その男の「これから」と向き合っていた。
⚖ 痴漢と懲戒──どこまで会社が関与できるのか?
痴漢行為で逮捕された案件を多く扱っていますが、
逮捕された本人が必ず口にするのが、
「これ、会社クビですよね……?」
という不安。
今回は、「痴漢行為」と「懲戒処分」の関係について、
実務目線で整理していきます。
🧾 懲戒解雇の基本原則と法的制約
まず大前提として、
- 懲戒処分は就業規則に明記されている必要がある
- 社会通念上、懲戒に相当する行為である必要がある
これは労働契約法の次の条文でも裏付けられています:
● 第15条:懲戒は客観的合理性がなければ無効
(懲戒)
第十五条 使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。● 第16条:解雇もまた、社会通念上相当でないと無効
(解雇)
第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
🚨 私生活での痴漢は懲戒対象になるのか?
ここで問題になるのが、
「私生活での非行」である痴漢が、
企業秩序とどこまで関係するのか?
という点。
1974年の最高裁(日本鋼管事件最高裁第二小法廷昭和49年3月15日判決)は次のように述べています。
営利を目的とする会社がその名誉、信用その他相当の社会的評価を維持することは、会社の存立ないし事業の運営にとって不可欠であるから、会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような従業員の行為については,それが職務遂行と直接関係のない私生活上で行われたものであっても、これに対して会社の規制を及ぼしうることは当然認められなければならない。
つまり、単なる「私事」では済まないケースもあるのです。
📚 判例にみる処分の有効性と限界
✅ 懲戒解雇が有効とされたケース:小田急電鉄事件(東京高裁 平15.12.11)
- 社員が通勤中に痴漢を繰り返し
- 同種の前歴あり
- 鉄道会社としての社会的責任が高い
→ 企業の信頼を著しく損ねたとして、懲戒解雇を有効と判断。
📌 ポイント:
- 常習性
- 業種の公共性
- 再犯であること
痴漢行為が被害者に大きな精神的苦痛を与え、往々にして、癒しがたい心の傷をもたらすものであることは周知の事実である。それが強制わいせつとして起訴された場合はともかく、本件のような条例違反で起訴された場合には、その法定刑だけをみれば、必ずしも重大な犯罪とはいえないけれども、上記のような被害者に与える影響からすれば、窃盗や業務上横領などの財産犯あるいは暴行や傷害などの粗暴犯などと比べて、決して軽微な犯罪であるなどということはできない。
まして、控訴人は、そのような電車内における乗客の迷惑や被害を防止すべき電鉄会社の社員であり、その従事する職務に伴う倫理規範として、そのような行為を決して行ってはならない立場にある。しかも、控訴人は、本件行為のわずか半年前に、同種の痴漢行為で罰金刑に処せられ、昇給停止及び降職の処分を受け、今後、このような不祥事を発生させた場合には、いかなる処分にも従うので、寛大な処分をお願いしたいとの始末書(乙6)を提出しながら、再び同種の犯罪行為で検挙されたものである。このような事情からすれば、本件行為が報道等の形で公になるか否かを問わず、その社内における処分が懲戒解雇という最も厳しいものとなったとしても、それはやむを得ないものというべきである。
❌ 懲戒解雇が無効とされたケース:東京メトロ事件(東京地裁 平27.12.25)
- 初犯
- 条例違反にとどまる
- 罰金刑(20万円)
- 報道されていない
- 就業規則上の手続に問題あり
→ 諭旨解雇すら重すぎるとして処分は無効に。
📌 判断基準:
- 悪質性の程度
- 報道・評判への影響
- 懲戒手続の適正性
- 業種・職種の性質
本件行為につき、略式命令を請求されるにとどまり、かつ、本件略式命令についても、罰金20万円の支払を命じられるにとどまったというのである。
以上のような本件行為の内容、態様等に加え、本件行為に対する処罰の根拠規定である本件条例8条1項2号、5条1項1号が定める法定刑が6月以下の懲役または50万円以下の罰金であることをも併せ考えれば、本件行為のような痴漢行為が許されないものであることは当然であるものの、本件行為は、上記規定による処罰の対象となり得る行為の中でも、悪質性の比較的低い行為であるというべきである。(中略)
本件行為ないし本件行為に係る刑事手続についてマスコミによる報道がされたことはなく、その他本件行為が社会的に周知されることはなかったというのである。また、一件記録に照らしても、本件行為に関し、YがYの社外から苦情を受けたといった事実を認めるに足りる証拠も見当たらない。
以上にかんがみれば、本件行為がYの企業秩序に対して与えた具体的な悪影響の程度は、大きなものではなかったというべきである。(中略)
以上を合わせ考えれば、上述の、Yが他の鉄道会社とともに本件行為の当時に痴漢行為の撲滅に向けた取組を積極的に行っていた、Xが本件事故の当時駅係員として勤務していた、といった各点を考慮しても、なお、本件行為に係る懲戒処分として、諭旨解雇というXのYにおける身分を失わせる処分をもって臨むことは、重きに失するといわざるを得ない。
🛑「懲戒ありき」ではなく冷静な判断を
痴漢が事実でも、処分は一律に決まるものではありません。
✅ 処分判断に必要な要素:
- 常習性があるか
- 報道・公表の有無
- 企業秩序への実害
- 本人の反省・示談状況
🔺懲戒解雇は「再起不能」レベルの重処分。
判断は慎重でなければなりません。
🧑💼 実務担当者へのアドバイス
人事・法務ご担当者にとって、社員の刑事事件対応は悩ましい問題。
以下の視点を持って対応すべきです。
- 事実確認を徹底すること(特に起訴前)
- 就業規則の運用を形式的にも厳格に
- 処分相当性の総合評価(社会的影響も含め)
🌱 終わりに──「信頼回復の機会」を奪わない姿勢を
痴漢行為は重大な法令違反であり、企業への影響も深刻です。
だからこそ、処分を焦って法的トラブルに発展させない冷静さが重要です。
❝毅然とした対応と、慎重な配慮❞
この両立こそが、
社員・会社の両方を守るために必要な視点ではないでしょうか。
文書作成者
佐藤 嘉寅
弁護士法人みなとパートナーズ代表
プロフィール
平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

お気軽にお問い合わせください。03-6206-9382電話受付時間 9:00-18:00
[土日・祝日除く ]
メールでの問合せは全日時対応しています