令和7年7月11日東京地方裁判所判決 損害賠償請求事件

「あの人の手は、今も私の記憶に残っている──」
判決の日、傍聴席に座ることはできなかった。
けれど、弁護士から「国に対して賠償命令が出ました」と聞いた瞬間──
心の中に張りつめていた膜が、ふっと音もなく破れたような気がした。
本当に、終わるんだろうか。
それとも、やっと始まっただけなのか。
あの人の手は、今も私の記憶に残っている。
何も言えず、言えば自分が壊れるようで、笑って流すしかなかったあの瞬間たち。
休みの日まで「断れない」ことを、誰が分かってくれるだろう。
「公務ではない」と言われたときの、あの悔しさ。
職場で起きたことじゃないから、仕方ないのか──って、自分に言い聞かせるようになっていた。
でも、裁判所は、違った。
「職務に付随する行為」と言ってくれた。
私の“沈黙”が、私の“せい”じゃなかったと。
私が壊れてしまった理由を、誰かが初めて、言葉にしてくれた気がした。
※本記事の冒頭ストーリーは、実際の事件をもとにしたフィクションです。
実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。
💥 職場外の加害行為に国の責任
2025年7月11日、東京地方裁判所は、防衛省の女性職員が同僚の男性職員からセクハラを受けたとして起こした損害賠償請求訴訟で、国に対し250万円の賠償を命じる判決を下しました。
注目すべきは、セクハラ行為の一部が休日・職場外で行われたにもかかわらず、「職務に付随する行為」として国家賠償責任を認めた点です。
📌 被害の実態──勤務中の接触と休日の抱きつき行為
判決によれば、2人は2020年4月から約1年間、防衛省内の同じ部署で勤務。
男性職員は以下のような行為を繰り返していました:
- 勤務中に女性の二の腕や下半身をもむなどの身体的接触
- 休日に外出先で女性に抱きつく行為
女性は、2022年に適応障害を発症。
今回の訴訟で、国と男性に対して計600万円の損害賠償を請求していました。
⚖「私的な場の行為」では済まされない──裁判所の判断
被告男性側は、「私的な場での行為であり、セクハラには当たらない」と主張。
しかし、東京地裁・一場康宏裁判長は以下のように認定しました:
- 「抱きつき」だけでなく、「下腹部を触る」などの強い身体的接触があった
- 性的自由に対する侵害の程度は強い
- 女性は職場関係の悪化を懸念し、断ることができなかった
- 休日の外出先での行為も「職務に付随する行為」と認定
このように、「職場外」の行為も上下関係に基づく支配性があれば、国家賠償責任が問われるという判断が下されました。
🏛 なぜ“個人責任”ではなく“国の責任”なのか?
裁判所は、国家賠償法第1条1項を根拠に、
加害者個人ではなく、国が賠償責任を負うと判断。
「公務員がその職務を行うについて、故意または過失により違法に他人に損害を加えた場合、国が賠償責任を負う」
本件では、男性個人への請求は棄却され、国に対してのみ賠償が命じられました。
🛡 防衛省の対応──懲戒処分と再発防止策
女性職員は2022年に被害を申告。
男性職員は2023年12月、停職4か月の懲戒処分を受けています。
防衛省のコメント
「判決内容を慎重に検討し、関係機関と調整の上、適切に対応してまいります。隊員の意識改革や事案の迅速な解決体制の構築などの実効性あるハラスメント防止対策を通じて、ハラスメントを一切許容しない環境を構築していく」
🔍 「職務との関連性」はどこまで広がるのか?
この判決がもたらした大きな示唆は、
「職務に関連する行為」の捉え方を時間や場所を超えて拡張した点にあります。
これにより
- 加害者の「勤務時間外だった」という主張は通りにくくなる
- 職場関係に基づく力の非対称性が加味される
- 組織には職場外の行為にも責任が問われることになる
🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点
セクシュアル・ハラスメントの本質は、単なる「性的自由の侵害」や「精神的苦痛」ではありません。
それは、職場という閉ざされた関係性の中で、力の非対称性(パワーバランス)を利用して他者を支配する行為です。
今回の裁判所の判断は、その支配が「職場」という物理的な境界を超えても継続し得ることを、明確に認めました。
加害者の男性が「私的な場での出来事」だと主張しても、被害者が「職場関係の悪化を恐れて断れなかった」という事実がある以上、その行為は「職務に付随する行為」と評価される――その論理は極めて重い意味を持ちます。
👉 この判決の最大の意義は、「勤務時間外」「職場外」という名の抜け道を封じた点にあります。
これまで多くの組織は、
「就業時間外の私的行為」や「プライベートな交流」だからという理由で、
ハラスメントへの責任を回避してきました。
しかし、もしその行為が職場関係に基づく上下関係を背景として行われたなら、
組織には監督責任が生じます。
公務員によるハラスメントに対して国家賠償責任が認められたことは、
この問題を単なる「個人の逸脱」から「組織構造の欠陥」へと昇華させた歴史的な判断です。
法は、この判決を通じて明確に語りかけています。
「組織が人を守るとは、時間でも場所でもなく、関係の中で起きる支配を見抜くことだ」と。
ハラスメントを根絶するとは、研修や通達ではなく、
職場が生み出す支配性を自覚し、それを断ち切る体制を構築することに他なりません。
国家賠償が命じられたという事実は、その責務を果たさなかった組織に対する、
法からの厳粛な警鐘なのです。
文書作成者
佐藤 嘉寅
弁護士法人みなとパートナーズ代表
プロフィール
平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月   弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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