──法務省報告書と日弁連声明

✍️ 取調室の沈黙
「いい加減にしろ。やったんだろ?」
テーブルの上に置かれた書類が、バサッと音を立てて広げられた。
自分の名前が、黒々と印字されている。まるでそれだけで、すべてが決まったような気がして、手のひらがじっとりと汗ばむ。
「証拠がある。もう観念しろよ。否認するってのは、反省してないってことだぞ?」
目の前の警察官は、長時間の取調べで苛立ちを隠さない。
けれど、それより怖いのは、こちらが何を言っても、まるで聞く耳を持っていないことだ。
「俺じゃありません。本当に……」
口にした瞬間、その声の弱さに自分自身が愕然とする。自信なんて、とっくに削り取られていた。
「だったら、どうしてあの日、そこにいた?」
「……通りがかっただけで……」
「はい嘘。いい加減にしないと、反省の色がないって調書に書くぞ?」
書かれる。言葉一つで、まるで自分の人格が上書きされていく。
「……録音とか、録画とか……ないんですか?」
ふと口にした言葉に、警察官がピクリと眉を動かす。
「そんなもん、必要ないんだよ。お前が素直に認めりゃ済む話だ」
静まり返った部屋の中で、ボールペンの音だけが響いた。
📘 法務省報告と日弁連声明
2025年7月24日、刑事手続の在り方を話し合ってきた法務省の有識者協議会が、改正刑事訴訟法の施行状況などを踏まえた報告書を公表しました。
この報告書は、一部の事件に限って義務付けられている「取調べの録音・録画(可視化)」について、
現行制度はおおむね問題ないと評価しつつ、対象拡大の是非は先送りしました。
これに対し、日本弁護士連合会(日弁連)は同日、会長声明を発表し、
「可視化の対象をすべての事件・全過程に拡大すべきだ」
日弁連会長声明
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2025/250724.html
と強く訴えました。
本記事では、法務省協議会の報告と日弁連声明の両面から、「取調べ可視化」拡大をめぐる最新の議論を整理します。
❓ 可視化制度とは何か?
「可視化」とは、警察や検察による取調べの過程を録音・録画によって記録することを指します。
きっかけは2010年、
- 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件
- 厚労省元局長の郵便不正事件
これらを受けて2016年に改正刑事訴訟法が成立し、2019年までに段階的に施行されました。
現在、録音・録画が義務付けられているのは以下の2つの類型のみ
- 裁判員裁判の対象事件
- 検察の独自捜査事件(逮捕・勾留を伴うもの)
→ 実際にはほとんどの取調べが今なお「可視化」されていないのが現実です。
🧩 法務省協議会の報告書:拡大には慎重姿勢
協議会の報告書は、現行制度については「おおむね問題なし」としながらも、可視化拡大については明言を避ける立場を取りました。
✅【賛成意見】
- 「虚偽供述を強要する取調べが今も問題」
- 「すべての事件に拡大すべき」
❌【反対意見】
- 「供述を得にくくなる」
- 「物理的・人的負担が大きい」
結果、報告書は「さらに検討の場を設けるべき」との留保にとどまりました。
加えて、司法取引制度や有罪答弁制度の検討にも言及していますが、これは可視化とは直接関係しない別問題です。
🚨 日弁連の声明:抜本改革を求める
日弁連は同日発表の会長声明において、報告書に対し強い懸念を表明。
特に、法改正までに14年も要した経緯を踏まえ、「改革のスピードが遅すぎる」と批判しました。
日弁連が掲げた5つの柱:
- 可視化対象の全事件・全過程への拡大
- 黙秘権を行使する被疑者への取調べ制限
- 弁護人の立ち会い保障
- 人質司法の解消
- 迅速な証拠開示を受ける権利の確立
特に「録音・録画の有用性」は既に証明されており、「それを上回る弊害は確認されていない」とし、参考人取調べも含めた全面記録義務化を求めています。
💡 実務では拡大の兆しも?
検察庁は2025年4月から、任意の取調べ段階においても一部で全面可視化を開始。
日弁連はこれを「前向きな動き」と評価しつつも、「運用ではなく、法制度として明文化すべき」
と主張しています。
🧭 信頼される刑事司法へ──問われる「本気度」
今回の協議会報告書は、将来的な議論の可能性を残しつつ、制度拡大について踏み込まなかったという意味で、事実上の“棚上げともいえます。
一方、日弁連は明確な構想をもって抜本改革を求めており、そこには
「このままでは刑事司法は信頼を失う」
という強い危機感がにじんでいます。
信頼される司法のために──
制度を守ることが、誰かを傷つけていないか。
その問いを、今こそ正面から問うべき時が来ています。
文書作成者
佐藤 嘉寅
弁護士法人みなとパートナーズ代表
プロフィール
平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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