令和7年6月27日東京地方裁判所民事第49部/令和4年(ワ)23532号

🏙️ 繰り返された交渉の果てに

ビルの窓越しに、再開発された街の灯が映り込む。
周囲の賃料は年々上がっていく。
しかし、自分のビルの二階だけは十年前と同じまま――。

二年ごとの改定時期が来るたび、テナントの社長と向き合って話し合った。
「今の相場から見ても、そろそろ見直していただきたい」
「うちも厳しいんですよ」
言葉を重ねても、互いの主張は平行線のままだった。

会議室を出たあと、パソコンの前に座り、“賃料増額のお願い” と題したメールを打つ。
このまま放っておけば、適正賃料は遠のく一方だ。
それでも、返ってくるのはいつも曖昧な返事だった。

――もう十年か。
光熱費も、修繕費も、税金も上がり続ける中で、据え置かれた賃料だけが時間に取り残されている。

今回は、言葉ではなく、文書で伝えよう。
そう決めて、内容証明の通知書を書き終えたとき、自分でも驚くほど、手が震えていた。

長年の信頼と、事業としての責任。
その狭間で揺れ続けた交渉に、ようやく一つの区切りをつけるときが来た。

📌 本記事の冒頭ストーリーは、実際の判例を参考に再構成したフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。


⚖️ 賃料改定協議と「請求の効力」

不動産オーナーとテナントの間でしばしば争いとなる「賃料改定」。
特にオーナー側からの賃料増額請求は、
その効力がいつから発生するのか、
過去の協議の発言が意思表示と認められるのか――
といった点で重要な意味を持ちます。

2025年6月27日、東京地方裁判所が下した判決(令和4年(ワ)第23532号)は、
まさにその「明確な意思表示」の重要性を示すものでした。


📅 事案の概要:5回の協議とオーナーの主張

原告(オーナー):株式会社X
被告(テナント):Y株式会社
対象物件:再開発ビルの飲食店舗区画

両者の賃貸借契約では「2年ごとの賃料改定協議」が定められていました。

  • 平成25年、27年、29年、31年の4回の協議はいずれも不調
  • 原告は「その都度、賃料増額を求めていた」と主張
  • さらに令和3年に正式な賃料増額請求書(内容証明郵便)を送付し、調停を経て訴訟へ

原告の請求は、過去10年分の不足賃料+利息を合わせて7,270万円超という大規模なものでした。


⚖️ 裁判所の判断:「協議中の発言」は意思表示にあらず

裁判所は、オーナーの主張のうち、
平成25年〜31年の協議でのやり取りを賃料増額請求の意思表示とは認めませんでした。

🗣️ 協議の発言は「交渉の一部」

「値上げに協力してほしい」
「増額が妥当」

といった発言やメールは、あくまで交渉過程での意見表明にすぎず、
確定的な意思表示とはいえないと判断されました。

📩 書面との違いが決定的

令和3年の内容証明郵便による「賃料増額請求書」と比べると、
過去の発言は形式・内容ともに不十分。
調停や裁判などの法的手続をとらなかった点も考慮されました。

➡ よって、令和3年以前の増額請求は無効とされ、不足賃料の請求は棄却。


🏛️ 令和3年以降の賃料は「40万2000円」に確定

一方で、令和3年3月に送付された正式な賃料増額請求は有効とされました。

  • 鑑定人の評価を基に、適正賃料を 月額40万2000円(税別) と認定
  • 実際に支払われていた賃料(35万4494円/税込)との差額は毎月8万7706円

その結果、令和3年4月〜令和5年3月までの不足額 210万4944円 と、
これに対する 年1割の遅延利息(借地借家法32条2項ただし書) が命じられました。


💡 この判例からの教訓

1. 賃料増額請求は「明確かつ一方的」に
協議中の発言やメールは、あくまで交渉の一部とみなされる。
内容証明郵便などの形式を備えた明確な意思表示が不可欠。

2. 適正賃料は裁判で決まる
裁判所は不動産鑑定に基づき、双方の主張より低い「中間的な金額」を採用する傾向。
オーナーもテナントも、自分の主張額に固執するリスクを理解しておく必要がある。

3. 利息リスクは極めて重い
裁判で不足額が認定されると、年10%という高率の遅延利息が加算される。
紛争が長期化するほどテナント側の負担は膨らむ。


🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

― 7,000万円を失ったオーナーの教訓。「お願い」と「請求」を混同するな

この東京地裁の判決は、長年にわたり賃料改定の協議を重ねてきたオーナーに対し、「十年分の裏切り」という、極めて重い現実を突きつけました。

「値上げに協力してほしい」「増額が妥当」
オーナーのこれらの発言やメールが、法廷で「有効な賃料増額請求の意思表示」として認められることはありませんでした。なぜなら、「交渉(協議)」と「権利行使(請求)」の間に、越えられない法的な壁があるからです。

🚨 法律が要求する「明確な線引き」

賃料増額請求は、借地借家法が認める一方的な権利行使です。
相手の同意を必要とせず、意思表示が到達した時点で増額の効力が発生します。

だからこそ、法律は「賃料は〇〇円に増額する。異議があれば法的手続きを取ってくれ」という、曖昧さのない明確かつ断定的な意思表示を要求します。
長年の交渉の中で、オーナーが「また今度」「話し合いで」と曖昧な言葉で終わらせた瞬間、その都度、権利の行使を放棄したのと同じ結果を招いたのです。

結果として、オーナーは7,270万円超の請求のうち、ほとんどを棄却され、適正賃料の差額10年分という巨大な利益を失いました。これは、法的な知識と手続きの厳格さを軽視したことによる、あまりにも高すぎる代償です。

✍️ 権利は「書面」と「意思」で守り抜け

この判決は、不動産オーナーだけでなく、すべての権利者に向けた重要な警告です。

あなたの権利は、「お願い」や「話し合い」では守られません。

権利を守る鍵は、「内容証明郵便」などの形式を備えた一方的な「請求」の意思表示にあります。
交渉は続けても構いませんが、法定の権利行使は、必ず期限を区切り、文書で明確に行う。
このプロフェッショナルな線引きこそが、あなたの財産を未来永劫にわたって守る唯一の道なのです。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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