令和7年3月4日東京高等裁判所第16民事部/令和7年(ラ)382号

🫧 「パパって誰のこと?」

夜ごはんのあと、テレビの音だけが部屋に響いていた。
ぼくはお茶碗を流しに置いて、いつものように自分の部屋に戻ろうとしたとき、背中から声が飛んできた。

「ほら、パパにおやすみ言って。」

振り向くと、ソファに座る“あのひと”が笑っていた。
お母さんの隣で、まるでずっと前から家族だったみたいに。

ぼくは声が出なかった。

だって、パパはひとりだけなのに。
ずっと前から知っている。運動会で手を振ってくれたひと。寝る前に読んでくれた絵本の声。
けんかをしても、ちゃんと謝ってくれるひと。

――なのに。

「言いなさい。ちゃんと“パパ”って。」

お母さんの声が少しだけ強くなった。だから、ぼくは言った。

「……パパ、おやすみ。」

言ったあと、胸の中がぎゅっと痛くなった。
その“パパ”は違うのに。ぼくの知ってるパパは、ここにはいないのに。

“あのひと”は満足そうに笑って頭をなでた。
その手が落ちてくるたびに、ぼくの心の奥で、何かが小さく割れる音がした。

本当のパパのことを考えると、喉の奥が熱くなって、涙が出そうになる。
でも泣いたら怒られる。だから、泣くかわりに、心の中で小さくつぶやいた。

――パパ、ごめんね。
ぼく、ほんとは言いたくないんだよ。

“あのひと”が笑う横で、ぼくは自分の声がどんどん小さくなっていくのを感じていた。

※本記事の冒頭ストーリーは、実際の判例をもとにしたフィクションです。
実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。

🧩 離婚前の別居で問われる「子の福祉」の重み

夫婦関係が破綻し、離婚に至る前に一方の親が子を連れて別居を始めるケースは少なくありません。このとき、どちらの親が子どもを監護すべきか(監護者指定)、そして子どもをもう一方の親に引き渡すべきか(子の引渡し)をめぐって、紛争が起きることがあります。

裁判所は、このような「子の監護をすべき者」を指定する際、民法766条1項の類推適用により、「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」という大原則に基づき判断します。

この東京高裁の決定は、「不貞行為を伴う別居」後に、子どもを連れ去った親が主張する「継続監護の事実」を、裁判所がどのように評価し、「親の不適切な行為」が子の福祉にどう影響すると判断したのかを示した、非常に示唆に富む事例です。

⚖️ 事案の概要と高裁の断罪

事件の経緯

夫婦である抗告人(母)と相手方(父)の間に、長女と長男(未成年者ら)がいました。

  1. 監護状況: 同居中は主に母(抗告人)が子の世話をしていましたが、父(相手方)も育児を分担していました。
  2. 別居の経緯: 母(抗告人)がマッチングアプリで知り合った既婚の男性(不貞相手)と交際を開始。子の自宅に不貞相手を招き入れたり、夜間に未成年者らを連れて不貞相手と外出したりする不適切な行為がありました。
  3. 別居・同居: 母(抗告人)は不貞行為の発覚後、未成年者らを連れて父(相手方)に無断で別居。その後、不貞相手と同居を開始し、未成年者らを不貞相手と日常的に接する環境に置きました。

父(相手方)は、母(抗告人)に対し、未成年者らの監護者指定と子の引渡しを求めました。

裁判所の結論:「子の福祉に反する」として子の引渡しを命令

東京高裁は、原審(家庭裁判所)の判断を支持し、未成年者らの監護者を全て父(相手方)と指定し、母(抗告人)に対し、子を父に引き渡すよう命令しました。

💡 判決の核心:「継続監護の優位性」の否定

子の監護者指定の判断では、一般的に「子の生活環境の継続性」が重視される傾向にあります。
しかし、本件で裁判所は、母(抗告人)による以下の二点の行為を「子の福祉に反する不適切な監護」として極めて厳しく評価し、継続性を重視しませんでした。

別居前の「不適切な監護状況」

裁判所は、抗告人が不貞相手との交際を始めた後の監護状況を問題視しました。

  • 子の面前での不適切な交際: 未成年者らが住む自宅に不貞相手を立ち入らせたり、夜間に連れて外出したりした行為は、「未成年者らの福祉に反する不適切なもの」と断じられました。
  • 子の放置: 不貞相手との交際のために、相手方が帰宅する直前に子を自宅に放置したことなども、不適切な監護の一因とされました。

別居後の「父子関係の阻害行為」

最も重大な判断材料となったのは、別居後に母(抗告人)が作り出した監護環境です。

  • 不貞相手との同居: 母は別居後すぐに不貞相手と同居を開始し、子を不貞相手と日常的に接する状態に置きました。
  • 「パパ」呼びの容認と父子関係の阻害: 面会交流が一度も実施されていない状況で、未成年者らが不貞相手を「パパ」と呼ぶことを母が容認していた事実を指摘。
  • 裁判所の認定: 「そのような監護状況は、未成年者らと相手方(実父)との正常な父子関係の維持、形成を妨げる不適切なものであり、これを継続させることは、未成年者らの福祉に反するものというほかない。」

裁判所は、母(抗告人)を監護者に指定した場合に生じる子の転居・転園の負担よりも、実父との関係が破壊されるリスクの方が、子の福祉にとってより深刻であると判断し、監護の継続性の主張を採用しませんでした

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

「親の都合」が「子の尊厳」に勝ることはない

この高裁決定は、夫婦間の紛争において「親の不貞行為」それ自体が監護者指定の決定打となるわけではないものの、その後の監護態勢が子の福祉を侵害しているかを判断する際の、親の倫理観と配慮を極めて厳しく問うたものです。

【この判決が示す、実務上の鉄則】

  1. 「継続監護」は万能ではない: 単に子どもを連れて別居し、生活を続けているという事実(継続監護)だけでは、監護の優位性は認められません。その監護内容が「子の利益」に反するか否かを裁判所は判断します。
  2. 「父子・母子関係の阻害」は致命傷: 子どもに新しい交際相手を「パパ」や「ママ」と呼ばせる行為や、正当な理由なく面会交流を拒否する行為は、子の健全な成長に必要な実親との関係を意図的に破壊するものとみなされ、監護者としての適格性を欠くと判断されます。これは、最も避けなければならない不適切な監護です。
  3. 転居・転園の負担は相対化される: 監護者変更に伴う子の負担は考慮されますが、本件のように、一方の親の不適切な行為により既に転居や転園の負担が生じている場合、その負担を理由に不適切な監護を継続させることは、子の利益に資さないと判断される可能性があります。

離婚紛争において、親が自身の感情や都合を優先し、実親と子との関係を意図的に阻害する行為は、子の福祉という原則の前で、不利益に判断されます。子どもを連れて別居する際は、その監護環境が「子の尊厳」を守っているか、常に自問自答する必要があります。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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