令和6年11月21日東京高等裁判所第11民事部/令和5年(ラ)2062号 養育費増額審判に対する抗告事件

👶 子どもの未来を守るために

「先生……離婚のとき、養育費は月2万円で合意しました。」
相談者の元妻は、書類のファイルを握りしめながら声を落とした。

「でも……生活がとても苦しいんです。物価も上がって、食費や光熱費もかさむばかりで。」
言葉をつなげるうちに、目尻が赤く染まっていった。

「子どもも大きくなって、塾や学校にかかる費用が増えてきました。どうしても、2万円では足りないんです。」

彼女は深呼吸をしてから続けた。
「元夫も収入が増えていると聞きました。私は逆に体調を崩して、以前のように働けなくなってしまって……。この状況で、いまの額のままでは子どもにしわ寄せがいくんです。」

机の上に置かれた離婚協議書のコピー。
その「月額2万円」の文字を、彼女は恨めしげに見つめた。

「協議書に書いた以上、もう変えられないんじゃないかって……でも、どうしても諦められなくて。」
声が震えた。

私は資料をめくり、落ち着いた声で伝えた。
「大丈夫です。養育費は“事情が変われば”見直すことができます。子どもの成長、生活費の高騰、双方の収入の増減――まさに今のお話は、その典型的な事情変更にあたります。」

その言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳に涙がにじんだ。
不安と緊張で押しつぶされそうだった胸に、初めて希望の灯がともったようだった。

📌 本記事の冒頭ストーリーは、実際の審判を参考に再構成したフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

📘 事件の概要

ご相談の事案に近しい事件として、最近、横浜家庭裁判所小田原支部(令和5年8月10日審判)と東京高裁(令和6年11月21日決定)で判断が示されているため、本事案の裁判所の判断を紹介します。事件の概要は下記のとおりです。

  • 離婚時の私的な離婚協議書で、父が母へ「月2万円」を支払うと合意。
  • その後、支払いが滞り、母が養育費の増額を申立て。
  • 一審(家裁)は月3万2,000円に、控訴審(高裁)は月3万1,000円に。それだけでなく、起算時点の考え方も変わりました。

✅ 結論サマリ

一審(横浜家裁小田原支部・令和5年8月10日審判)

  • 月額:3万2,000円
  • 遡及:調停申立て時(令和4年9月)から(既に到来した11か月分=35万2,000円を一括支払い)
  • 法的構成:協議書は債務名義でない → 「合意の変更」ではなく、一般の養育費審判として新たに額を定める立て付け。

控訴審(東京高裁・令和6年11月21日決定)

  • 月額:3万1,000円(改定標準算定方式で精緻に再試算)
  • 遡及:事情変更がすべて出そろった時(令和4年12月)から(令和4年12月〜令和6年10月=23か月分71万3,000円を一括支払い、以後は毎月3万1,000円)
  • 法的構成:離婚協議の合意後の事情変更(民法880条)を認め、「合意の額そのものを変更」するという枠組みに修正。
  • なお、合意どおりの未払分を求めるなら家事審判ではなく民事訴訟で、という整理も明示。

🔍 一審のポイント(横浜家裁小田原支部)

  • 協議書は私文書で債務名義なし → 「合意の変更」というより、通常の養育費審判として算定。
  • 改定標準算定方式で試算:
     母:傷病手当年156万円 → 基礎収入69万円
     父:同居当時の月収等から稼働能力を推認 → 総収入330万円 → 基礎収入139万円
  • きょうだい関係・生活費指数も織り込み、月3万2,000円。
  • 起算時点は、実務の定番どおり調停申立て月(R4.9)に。

家庭裁判所は、当事者間の離婚協議書を「公正証書」などの債務名義にしていなかった点を重視しました。
そのため「合意の額を変更するかどうか」ではなく、「改めて養育費を算定する」立場をとりました。
つまり「協議書は参考程度。いまの収入や生活状況から適正額を算定します」という判断でした。


🔍 控訴審のポイント(東京高裁)

  1. 法的枠組みを合意の変更(民法880条)へ
    合意後の“事情変更”を具体的に認定:
    • 父の100万円借入れ完済
    • 第3子の出生
    • 母の就労・傷病手当
    • 父の就労・収入の増加(R4.12〜月32万円)
    → 当初合意の2万円は実情に合わず相当性を欠く → 合意の額を変更(月3万1,000円)と判断。
  2. 算定の中身を精緻化
    • 母の傷病手当は職業費を要しない点を踏まえ給与収入へ換算
    • 父はR4.12以降の実収入(月32万円)で基礎収入化
    • きょうだいの生活費指数は他方親の収入不明時は1/2負担で按分
      → 結果、月3万1,000円に。
  3. 始期の考え方を変更
    • 変更の始期は「請求時」ではなく、全事情変更がそろった時点(R4.12)とするのが相当。
    • よってR4.12〜R6.10の23か月=71万3,000円を一括、その後はR6.11から月3万1,000円。
  4. 合意の未払分は民事訴訟で
    • 本件手続(家事審判)は変更後の額を定める場。
    • 変更前の合意額の未払分を回収したいなら、民事訴訟でという手続選択を明示。

東京高裁は、「離婚協議書に基づく合意も尊重すべき。その後の事情変更があれば、民法880条に基づき額を見直せる」と判断しました。
つまり「協議の存在を前提に、事情が変わったから額を修正する」という整理をしたのです。


⚖️ 一審と控訴審の「ズレ」はどこから?

論点一審(家裁)控訴審(高裁)
法的構成合意は債務名義でない → 新規に養育費を定める民法880条の事情変更で合意額そのものを変更
月額3万2,000円3万1,000円(換算・按分を厳密化)
遡及・始期調停申立て月(R4.9)事情変更が出そろった月(R4.12)
未払分の扱い(示し方に限界)合意どおりの未払分は民事訴訟で回収を示唆

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

子どもの生活は「契約」ではない。離婚協議書の「2万円」を覆す、法の冷徹な原則

この審判事例は、離婚協議書という「紙の約束」が、時間の経過と子どもの成長という現実の前に、いかに脆く崩れ去るかを示したものです。

相談者の元妻が抱えていた「一度決めたらもう変えられないのではないか」という不安は、養育費に関する相談で最も多く聞かれる言葉です。
しかし、法律家として明確に申し上げます。

養育費は、親同士の勝手な「契約」ではなく、「子どもの生存権」に関わる生活保持義務です。

親の都合で決めた金額が、子どもの成長や生活環境の変化によって不相当となった場合、「事情変更の原則(民法880条)」に基づき、その合意は修正を免れません。この原則こそが、子どもの未来を守る最後の砦なのです。

🚨 司法が示した「合意の尊重」と「実情の優先」

本件で注目すべきは、家庭裁判所と高等裁判所が養育費の改定に対する法的なアプローチを明確に整理した点です。

  • 家裁(一審)の視点: 協議書が公正証書ではないなら、単なる私文書。合意を無視して、現在の状況から「新たに」適正額を算定する。
  • 高裁(控訴審)の視点: 離婚協議の合意を尊重しつつ、その後の事情変更(父の収入増加、母の健康状態、子どもの成長)を認め、「合意額そのもの」を修正する。

この「合意を前提に、事情変更で修正する」という高裁の整理こそが、今後の実務の基本線となります。
これは、当事者の自己決定を尊重しつつも、子どもの権利を最終的に優先するという、司法の成熟した判断を示しています。

💡 実務上の最重要論点:「いつから増額されるのか?」

この判例が示す最も重要な実務的教訓は、「増額の始期(いつからさかのぼって増額されるか)」の争いです。

一審が実務の定石通り「申立時(R4.9)」を始期としたのに対し、控訴審は「事情変更が全て出そろった時(R4.12)」とし、結果的に3ヶ月、始期を繰り下げました。

💡 繰り下げが示す「高裁の論理」

この3ヶ月の繰り下げは、単なる日付の変更ではなく、高裁の「法的な厳密さ」と「合意の尊重」という論理を最もよく表しています。

1.「請求時」ではなく「法的根拠の完成時」
  家裁は「申立時(R4.9)」という実務上の慣習に従いましたが、高裁は「養育費の変更は、事情変更という法的根拠が完成して初めて認められる」という原則を重視しました。

  本件では、父の収入増加や母の健康状態など、養育費の増額を正当化するすべての要素が揃ったのがR4.12であると判断されたため、始期が繰り下げられました。

2.合意の尊重
  高裁は、一審と異なり「協議の合意を尊重しつつ、事情変更で修正する」という立場をとりました。
  これは、「事情変更が起きる前の期間については、当事者の合意(月2万円)が有効であったと見なす」という、当初の合意に対する尊重の意思でもあります。

 この判例から、増額を求める側は、申立日ではなく、すべての事情変更の要素が揃った日を、正確に立証しなければならないという、実務上のより厳格な姿勢が求められることになります。

 増額を請求する親は、単に「生活が苦しい」と訴えるだけでなく、「相手の収入が増加した」「自分の収入が減った」「子どもの教育費が明確に増加した」といった具体的な事情変更の時期を、正確に特定し、立証しなければなりません。

「協議書があるから無理」と諦めず、「いつから」「なぜ」「どれくらい」状況が変わったのかを精緻に分析し、子どもの未来に必要な権利を法廷で勝ち取る。それが、私たち法律家が果たすべき使命なのです。

子どもの生活の「リアル」に、法は必ず応えます。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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