令和7年5月29日東京高等裁判所第16民事部/令和7年(ラ)834号 面会交流審判に対する抗告事件

✍️ 会いたくないって言ったけど

あの日、調査官の人に聞かれて、ぼくは「お父さんには会いたくない」と言った。
口に出した瞬間、向こうの部屋で洗濯物を畳んでいたお母さんの背中が、少しだけ柔らかくなった気がした。
それが、なぜだかほっとする。お母さんはいつも、ぼくたちを守ってくれている。そう思いたい。

でも、本当は──。

お父さんのことを、全部嫌いになったわけじゃない。

朝ごはんに作ってくれたおにぎりは、形もいびつで具も偏っていたけれど、海苔の匂いが温かかった。
土曜日の午後、ソファでだらっとしてテレビを見ていた横顔も、あのときはただ退屈だったけど、今思えば一緒に座ればよかったのかもしれない。

お母さんは、お父さんの悪いところをたくさん話す。
借金のこと、家事をしなかったこと、約束を守らなかったこと。
たしかにそうだったのかもしれない。

でも、ぼくの記憶には、それと同じくらい、お父さんが笑ってくれた瞬間もある。
運動会のゴールで手を振ってくれた姿。
誕生日にくれた、少し不格好な包み紙のプレゼント。

なのに、「会いたい」って言えない。
お母さんの前でそんなことを言ったら、あの険しい目を向けられるのがわかっているから。
それに、もし会ったときに、思っていたより冷たかったら──
そのときは、本当にお父さんを失ってしまう気がして、怖い。

だから、ぼくは「会いたくない」と言い続ける。
そうすれば、嫌いにならなくても済むから。

そして、心の奥でだけ、お父さんの匂いや声を覚えておく。
いつか、本当に安心して会える日が来たら、そのときはちゃんと「会いたかった」って言えるように。

※本記事の冒頭ストーリーは、実際の事件をもとにしたフィクションです。
実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。

📘 面会交流審判 原審への差し戻し

離婚において常に問題となるのが、別居した親が子どもと会えない「面会拒絶事案」です。
2025年5月29日、東京高等裁判所は、家裁が認めた「間接交流」(手紙や写真のやり取りなど)だけの面会交流審判を取り消し、原審へ差し戻す決定を下しました。

争点は──
離婚後の親と子の面会交流は、直接会う形(直接交流)で行うべきか、それとも間接的な方法に限るべきかという点です。

🔍 事件の概要

  • 父(抗告人):子どもたちと「2か月に1回程度の直接交流」を求める
  • 母(相手方):直接会うことは子どもの精神的負担が大きいとして、写真や手紙の交換など間接交流のみを主張
  • 家裁の判断:母の意見を受け入れ、間接交流のみを認める審判を下す

💡 高裁の判断ポイント

東京高裁は家裁の判断を取り消し、次の理由から差し戻しを決定しました。

  1. 子の福祉は形式ではなく実質で判断すべき
    面会交流の目的は、親子関係の維持・発展や健全な成長の促進にある。
    単に「間接交流の方が安全」という理由だけでは不十分で、直接交流の影響を具体的に検討すべき。
  2. 過去の交流状況や現在の関係性の評価不足
    「拒絶反応がある」という抽象的主張だけでは直接交流排除の根拠にならない。
    子どもの意見が母の不満に影響されている可能性も考慮すべき。
  3. 段階的アプローチの未検討
    不安がある場合は、監護者同席・短時間・中立施設利用など、段階的に直接交流を試みるべきだった。

🧩 実務的な意味

今回の高裁判断は、間接交流を安易に選択することへの警鐘です。
離婚後の面会交流では「子の拒否感情」や「親同士の葛藤」を理由に直接交流を制限するケースが少なくありません。

しかし高裁は、

「本当に直接交流が子の福祉を害するのか、段階的に改善できる余地はないのかを、事実と証拠に基づき慎重に判断すべき」
と明確に示しました。

この判例は、面会交流に関する実務で次の重要なメッセージを含みます。

  1. 間接交流は例外
  2. 直接交流の可能性を最大限探る
  3. 段階的アプローチを検討する義務

今後、家裁が面会交流の在り方を判断する際、この高裁決定は大きな指針となるでしょう。

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

面会交流は、「親のための権利」ではありません。
それは、「子どもが親から愛され、その存在を知る権利」
――すなわち、子自身の福祉に基づく制度です。

この高裁決定の最大の意義は、子の福祉の判断を「形式的な言葉」から「実質的な心情」へと引き戻したことにあります。
単に「子どもが会いたくないと言っている」という発言や、
「親同士の関係が険悪だ」という表面的な理由によって、
親子の絆を断つことは許されない。
その明確なメッセージを司法が再び発したのです。

👉 私たちが直面しているのは、「子の真の意思」を見抜く難しさです。

子どもの「会いたくない」という言葉の裏には、
親(監護者)への配慮、心理的忠誠心、もう一方の親に拒絶されることへの恐れ、
そのすべてが複雑に絡み合っています。
冒頭の物語のように、子どもはしばしば、
自分の本当の願いを押し殺してでも、親の顔色を伺いながら生きているのです。

家庭裁判所の使命は、その表面的な言葉を鵜呑みにすることではなく、
子の心の奥底にある「会いたいけど怖い」「嫌いじゃないけど苦しい」という声を、
法の手で掬い上げることにあります。

「間接交流」という安易な妥協に逃げるのではなく、
「監護者同席」「段階的な試行」「心理士の立会い」といった多層的な支援策を講じ、
一歩ずつ親子の関係を回復へと導く努力が求められます。

面会交流は、「親のための権利」ではありません。
それは、「子どもが親から愛され、その存在を知る権利」――すなわち、子自身の福祉に基づく制度です。

この高裁決定の最大の意義は、子の福祉の判断を**「形式的な言葉」から「実質的な心情」へと引き戻した**ことにあります。
単に「子どもが会いたくないと言っている」という発言や、
「親同士の関係が険悪だ」という表面的な理由によって、
親子の絆を断つことは許されない。
その明確なメッセージを司法が再び発したのです。

👉 私たちが直面しているのは、**「子の真の意思」**を見抜く難しさです。

子どもの「会いたくない」という言葉の裏には、
親(監護者)への配慮、心理的忠誠心、
もう一方の親に拒絶されることへの恐れ、
そのすべてが複雑に絡み合っています。
冒頭の物語のように、子どもはしばしば、
自分の本当の願いを押し殺してでも、親の顔色を伺いながら生きているのです。

家庭裁判所の使命は、
その表面的な言葉を鵜呑みにすることではなく、
子の心の奥底にある「会いたいけど怖い」「嫌いじゃないけど苦しい」という声を、
法の手で掬い上げることにあります。

「間接交流」という安易な妥協に逃げるのではなく、
「監護者同席」「段階的な試行」「心理士の立会い」といった多層的な支援策を講じ、
一歩ずつ親子の関係を回復へと導く努力が求められます。

「子の最善の利益」とは、
過去の親の過ちを断罪することではなく、
子が将来、両親の愛情を安心して受け取れる環境を整えること。
司法がそのための「場」と「時間」を設計することこそが、
家庭裁判所の存在意義であり、
本決定は、その責務を明確にした実務の転換点といえるでしょう。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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