✍️ 彼の顔が、笑った気がした──

「……そう。私が、チューブを外したの。」
その瞬間、彼の眉が少しだけ上がって、口角が動いた。
あ、少し、笑った──そう思った。
それだけで、胸の奥がじんわりあったかくなって、苦しかった部屋の空気が、少し和らいだ気がした。

ほんとは、ちがう。やってない。
でも、そんなの、もうどうでもよかったのかもしれない。
だって、毎日ずっと、怒られないように、否定しないように、嫌われないように……そんなことばっかり考えてた。

怖かったけど、でも、あの人がやさしい声で名前を呼んでくれると、
「ありがとう」と言ってくれると、それだけで、わたし、ここにいてもいいんだって思えた。

だから──
彼が望むように話せば、もっと喜んでくれるかもしれないって、そんな気がして、言った。

「はい、わたしが……やりました」

嘘だった。
でも、あのときの彼の目は、本当に優しかった。
それだけは、本当だったと、今でも思ってしまう。

※本記事の冒頭ストーリーは、実際の事件をもとにしたフィクションです。
実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。

⚖️ 自白と隠蔽の果てに──湖東事件、国家賠償判決が突きつけた司法の課題

2025年7月17日、大津地裁は、再審無罪が確定した元看護助手・西山美香さんの国家賠償請求訴訟において、滋賀県による違法捜査を認め、3100万円余の賠償を命じました。
一方、国(検察官)の責任は否定されました。

この判決は、日本の刑事司法における「自白偏重」と「証拠開示の不十分さ」という根本的な問題に正面から向き合うべき時期に来ていることを突きつけています。

📘 湖東事件とは──事件ではなかった「事件」

2003年、滋賀県の湖東記念病院で、72歳の男性患者が死亡。
植物状態で人工呼吸器を装着していたこの患者は、当直の看護師と看護助手の西山さんにより心肺停止状態で発見されました。

事件から1年以上後、西山さんが警察の取り調べ中に「チューブを外した」と自白し、殺人罪で逮捕・起訴されます。
しかし、その自白は取調官への好意や迎合的特性を利用して誘導されたものでした。

大津地裁はこの自白を有罪の根拠とし懲役12年の有罪判決を宣告。
2007年5月21日、最高裁で有罪が確定。
西山さんは2017年に満期出所します。

🔍 再審で明らかになった「隠された真実」

出所後に行われた2度目の再審請求では、大阪高裁が、医師の所見や法医学的鑑定により、

  • 「男性が他の死因で死亡した可能性
  • 「西山さんが取調官の誘導に迎合した可能性

を認め、再審開始を決定

その後、滋賀県警が初めて検察に提出した未開示証拠の中には、人工呼吸器の管内での痰詰まりによる呼吸不全の可能性を示す捜査報告書も含まれていました。

この証拠が最初から検察官に送付されていれば、
西山さんは起訴すらされなかった可能性もあったのです。

⚖️ 今回の国家賠償訴訟判決──何が認められ、何が否定されたのか

大津地裁は、警察の取り調べが違法であることを以下のように認定しました:

  • 否認の調書を作成せず、一貫して自白しているかのように装った
  • 誘導的な取り調べによって虚偽の供述を引き出した
  • 有利な捜査報告書を検察に送致しなかった

これにより、滋賀県に3100万円余の賠償が命じられました。

一方で、検察については

「自白を信用できると判断したのは合理的だった」

として、国の責任は否定されました。
西山さんと弁護団はこの点を不服として、控訴の方針を示しています。

❓ なぜ「自白偏重」が冤罪を生むのか

湖東事件の本質は、「供述弱者」としての西山さんに対し、警察が取調べによって一方的な「物語」を作り上げ、それを証拠として扱ったことにあります。

  • 軽度の知的障害
  • 対人関係での不安
  • 取調官への好意

──そうした要素を警察が理解していたにもかかわらず、自白の任意性・信用性が司法判断の中心に据えられてしまったのです。

💡 冤罪を繰り返さないために──制度への問いかけ

この事件から浮かび上がる課題は深刻です。

  • 取調べの可視化(録音・録画)
  • 弁護人の立ち会い
  • 再審手続における証拠開示制度の明文化
  • 再審開始決定に対する検察の不服申立て制限

これらの改革なしに、
再び同様の冤罪が生まれることを防げるとは言い難いでしょう。

🧭「もう嘘は必要ありません」──裁判長の言葉の重み

2020年の再審無罪判決の際、裁判長は異例の10分にわたる説諭の中でこう述べました:

「もう嘘は必要ありません」

この言葉は、西山さんに向けたものであると同時に、
私たち司法制度全体への問いかけでもあります。

  • 嘘の自白を許してしまう制度
  • 証拠を隠す文化
  • 弱者を守れない裁判

──それを正すのは、
私たち一人ひとりの関心と、制度を見直すです。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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