法改正トピック|2020年民法改正(令和2年4月1日施行)

📄 「あの一筆さえなければ」
「まさか、自分のマンションに入るのを、身内に拒否されるなんて……」
相談室のソファに深く沈み込みながら、田村(50代・仮名)は力なく呟いた。彼の手には、くしゃくしゃになった一枚のコピー用紙が握られている。
事の発端は2か月前。
海外留学から帰国予定で、住む場所が決まっていなかった甥の健二に、田村が手を差し伸べたことだった。
「俺が持っているマンションの空き部屋、使っていいぞ。家賃はいらないから、仕事が決まるまでゆっくりしなさい」
それは、叔父としての純粋な善意だった。
その数日後、健二の母親である田村の姉が、菓子折りを持ってやってきた。
「タダで借りるなんて申し訳ないわ。なあなあにするのも良くないから、これ、形だけでも書いておいて」
差し出されたのは、『覚書』と書かれたA4の紙。
そこには、「本物件を健二に無償で使用させる」「期間は当分の間とする」といった文言が並んでいた。
田村は苦笑した。
「姉さん、そんな水臭いことしなくていいのに」
「いいのよ、ケジメだから」
田村は内容を深く読みもせず、軽い気持ちで署名し、ハンコを押した。身内相手の約束だ。いつでも話し合いで解決できると信じていた。
――それが、間違いだった。
状況が一変したのは先月だ。 田村の母親が倒れ、高額な介護費用が必要になった。
田村はマンションを売却して現金化することを決意し、甥に貸借契約の撤回を求めた。
「健二、すまないがマンションを売りたいんだ。マンションを貸すという話はなかったことにしてくれないか。」
しかし、甥からの回答は、信じられないものだった。
「叔父さん、覚書に『当分の間貸す』って書いてありますよね。」
「だから、事情が変わったんだ。マンションを貸すことはできない。」
「嫌です。僕も来月帰国します。僕にはそこに住む権利がある。弁護士の友人に聞きましたけど、書面がある以上、貸主の勝手な都合で解除できないそうですよ。」
田村は言葉を失った。 自分が善意で貸した部屋。自分が買ったマンション。
それなのに、たった一枚、姉に言われるがまま書いた「紙切れ」のせいで、自分の財産が自分の意のままにならない。
甥の背後に、あの時の姉の「ケジメだから」という言葉が、呪いのように響いている気がした。
⚖️ 「書面」があるかないかで、結論は真逆になる
このケースで問題となるのは、「使用貸借契約(無償での貸し借り)」の法的拘束力です。 2020年の民法改正により、このルールが厳格化されました。
- 「タダで貸す」契約も、立派な契約
まず大前提として、家賃をもらわない「使用貸借」であっても、法律上の契約は成立します。
改正民法では、合意のみで成立する「諾成契約」とされ、口約束でも契約は有効です(民法593条)。 - 「書面」にすると、簡単に解約できなくなる(重要)
通常、タダで貸すという契約は、貸主の負担が大きいため、法律は貸主に「逃げ道」を用意しています。
それが、「借主が物を受け取る前であれば、貸主はいつでも契約を解除できる」というルールです。
しかし、ここには重要な例外があります。
(借用物受取り前の貸主による使用貸借の解除)
民法第593条の2 貸主は、借主が借用物を受け取るまで、契約の解除をすることができる。ただし、書面による使用貸借については、この限りでない。
つまり、「書面」を作成してしまった場合、貸主の一方的な解除権は封じられます。
田村さんのケースでは、安易に作成した「覚書」が存在するため、「やっぱり貸すのをやめる(返してほしい)」という主張が、法的に通らなくなってしまったのです。
親族間の「念のため」という書面が、貸主自身の手足を縛る強力な足枷となってしまった典型例です。
📝 使用貸借契約はいつ終わるのか?
では、一度書面で貸してしまったら、二度と返してもらえないのでしょうか?
民法では、以下の事由があれば契約は終了すると定めています(民法597条)。
期間満了: 「1年間」など期間を決めていれば、その時点で終了。
目的達成: 「就職が決まるまで」と目的を定めていれば、就職した時点で終了。
借主の死亡: 借主が死亡すれば終了(権利は相続されません)。
今回のケースでは「期間は当面の間」と曖昧になっていたため、話し合い(場合によっては立退料の交渉や訴訟)が必要となる難しい局面に陥っています。
🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点
親族間や親しい友人間では、「水臭いから」と口約束で済ませるか、逆に「ケジメだから」と安易に書面を作ってしまうかの両極端になりがちです。
今回の改正民法は、後者(書面作成)に対して非常に厳しいルールを設けました。
「まだ鍵を渡していないから大丈夫」 「事情が変われば分かってくれるはず」 という甘い見通しは、書面の前では通用しません。
不動産のような重要な財産を貸し借りする場合、たとえ無償であっても、安易に覚書や契約書にサインをしてはいけません。
もし書面を作るのであれば、「貸主の都合により、引き渡し前であれば契約を解除できる」といった条項を入れておくなど、専門家のアドバイスを受けて自衛策を講じておくべきでした。
善意で貸した不動産が、戻ってこない。 そんな悲劇を避けるためにも、親族間での契約書作成は、専門家のチェックを受けることを強くお勧めします。
文書作成者
佐藤 嘉寅
弁護士法人みなとパートナーズ代表
プロフィール
平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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