令和7年10月23日静岡地方裁判所民事第2部/令和4年(ワ)518号

「釈放された日、名前だけが残っていた」

鉄の扉が、鈍い音を立てて閉じた。
「処分保留で、いったん釈放です」

そう告げられて、男は外に出た。空は、驚くほど青かった。だが、自由になったはずの足取りは、どこか重かった。勾留中、外の世界のことは何も知らなかった。新聞も、テレビも、スマートフォンもない。
自分がどう扱われているのかを知る術はなかった。

迎えに来た家族の顔が、妙に強ばっていた。
「……テレビ、見た?」

その一言で、何かがおかしいと気づいた。自宅に戻り、スマートフォンの電源を入れる。
通知が、雪崩のように押し寄せた。ニュースサイト。動画共有サイト。SNS。
そこには、自分の名前があった。警察署から連行される映像。
「暗号資産詐欺で逮捕」という見出し。
年齢、職業、居住地。

知らない間に、すべてが語られていた。男は、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。自分は、何も盗んでいない。他人の暗号資産だとも、知らなかった。
だからこそ、取り調べでも、同じことを繰り返し話した。

後日、正式に不起訴処分が下された。
検察は、「罪に問うだけの証拠がない」と判断した。

だが、ニュースは静かだった。逮捕のときのような大きな見出しは、もう出なかった。
名前も、映像も、回収されることはなかった。
検索すれば、今でも出てくる。「逮捕」という二文字だけが、切り取られたまま。

男は思った。
——これは、刑罰ではない。だが、罰よりも長く続く。
名誉は、戻らない。誰かが訂正してくれるわけでもない。時間が経てば忘れられる、という保証もない。
「このまま、何もなかったことにはできない」

そう思ったとき、男の中で、何かが静かに決まった。自分の人生を取り戻すために。そして、何が許され、何が許されないのかを、はっきりさせるために。
彼は、裁判を起こすことを決めた。

※本記事の冒頭ストーリーは、実際の判例をもとにしたフィクションです。実在の人物・団体を直接描写するものではなく、当事者の心情に想像を交えて構成しています。

⚖️ 裁判所の判断|報道の自由は「いつ」「どこまで」優先されるのか

この判決の最大の特徴は、報道の自由と、被疑者の名誉・プライバシー権を、抽象論ではなく「時間軸」で調整した点にあります。

裁判所はまず、大前提として次の原則を確認しています。

逮捕の実名報道は、それ自体が名誉・プライバシーを侵害し得る

被疑者の逮捕を実名で報じる行為は、

  • 犯罪の嫌疑がある人物として社会に晒すものであり
  • 名誉毀損の構成要件を充足し得る
  • 私的領域の犯罪であれば、プライバシー権にも抵触し得る

この点を、裁判所は正面から認めています。

つまり、「逮捕=実名報道が当然」という前提自体が否定されているのです。

それでもなお報道が許されるのは、それが 「公共の福祉」 に資する限度においてのみです。

🧭 公共性を左右する3つの視点

裁判所は、逮捕報道の公共性を判断するにあたり、次のような視点を示しました。

被疑者は「誰」か

  • 公人・社会的影響力のある立場か
  • それとも純然たる私人か

犯罪は「どの領域」か

  • 公的活動に関わる犯罪か
  • 私的生活に属する犯罪か

社会にとって「何を知らせる必要があるか」

  • 市民の警鐘となる必要性
  • 捜査権という公権力行使を監視する必要性

とりわけ本件で重要だったのは、「純然たる私人の、私的領域に関わる犯罪嫌疑」という位置づけです。

裁判所は、この場合、犯罪の嫌疑があるという事実だけで、直ちに実名報道の公共性が基礎付けられるわけではないと述べています。

市民への注意喚起が必要な犯罪であっても、実名を出さなければ達成できないとは限らない、という冷静な視点です。

🌐 インターネット時代の「実名報道」の重さ

裁判所が特に踏み込んだのが、現代の情報環境です。

かつては、放送は一過性、新聞も限定的な保存でした。

しかし現在は、実名と犯罪嫌疑が検索エンジンで結び付けられ、半永久的に残り続ける

この社会基盤の変化を前提に、私人が実名で報道されることによる名誉・プライバシー侵害の不利益は、決して小さくないと明言しています。

決定的だったのは「報道のタイミング」

以上を踏まえたうえで、裁判所は本件について、主体ごとに結論を分けました。

  • 警察(県):責任なし
  • 新聞社:責任なし
  • テレビ局:一部責任あり(55万円の賠償)

この違いを生んだのは、「何を報じたか」ではなく、「いつ、どう報じ続けたか」でした。

逮捕直後の実名報道は「適法」

逮捕直後の段階では、

  • 警察の捜査に基づき原告に対する嫌疑は相応に強い
  • 将来、公訴提起される可能性も否定できない

という状況でした。

この段階において、逮捕の事実を実名で報道することには一定の公共性・公益性があるとして、裁判所は適法と判断しています。

問題は「その後」も同じ報道を続けたこと

違法と判断されたのは、2日後に放映されたテレビ局の特集報道でした。

この時点では、

  • 共犯者の供述が変遷し、原告の関与に疑問が生じ
  • 記者自身も、その情報を把握していた

にもかかわらず、

  • 原告を実名・映像付きで、あたかも犯人であるかのように描写した

裁判所はここで、次のように述べます。

原告に対する嫌疑の濃度は、すでに相当に低下していた。その状況で、なお実名・映像付きで報道する公益性があったとはいえない。
つまり、違法とされたのは「報じたこと」ではなく、「変化を反映しなかったこと」でした。

不起訴は、実名で報じなければならないのか

原告はさらに、逮捕は実名で報じたのに、不起訴は匿名で済ませるのはおかしいと主張しました。
しかし裁判所は、不起訴を実名で報じるかどうかは報道機関の編集判断に委ねられるとして、実名報道の法的義務はないと判断しています。
名誉回復が、必ずしも「同じ大きさ」で与えられるとは限らない。この現実も、判決は静かに示しました。

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

この判決は、「実名報道は危険だ」と言っているわけではありません。
また、「警察が悪い」「メディアが悪い」と単純に断じているわけでもありません。
裁判所が問題にしたのは、状況が変わったにもかかわらず、報道の中身が更新されなかったことでした。

報道の自由は、沈黙する自由ではありません。
同時に、固定された物語を繰り返す自由でもない。
疑いが強かったときには、報じる。疑いが揺らいだなら、その揺らぎも伝える。
求められたのは、「報じるか、報じないか」という二択ではなく、変化に応じて、語り直す姿勢だったのです。
名前は、取り消せません。一度出た映像は、完全には消えません。

だからこそ、その名前を使い続けることの重さを、報道する側も、受け取る側も、立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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