🩸知らぬ社名からの「宣告書」

「特別送達」と朱書きされた封筒の重みが、手のひらに食い込むようだった。
柏田は、震える指でその封を切った。

中から出てきたのは、訴状。 原告は、それまで名前も聞いたことのない金融会社アルファ社。
そして被告の欄には、わが社の名前があった。

「……詐害行為取消請求?」

柏田は眉をひそめた。半年ほど前の取引だ。
知人の柊社長から「資金繰りが苦しい。頼む、すぐに現金化したいんだ」と泣きつかれ、都内のマンションを買い取った。
相場なら1億円は下らない物件だ。それを6000万円で譲り受けた。 柊社長を助けるためでもあり、わが社にとっても良い買い物だったはずだ。

だが、訴状には冷徹な文字が並んでいた。 『本件売買契約は、債権者を害する詐害行為であるため、これを取り消す』
柏田の背筋に、冷たい汗が伝う。 (もし、この裁判に負けたらどうなる?)
弁護士の言葉が脳裏に蘇る。 「契約が取り消されれば、マンションは柊社長の名義に戻ります」

(じゃあ、俺が払った6000万円は?) 柊社長はもう資金が底をついている。
だからこそ、あの時あんな安値で売ってきたのだ。
マンションを返したとして、柊社長が6000万円を返してくれるはずがない。

「まさか……」 柏田は思わずデスクに手をついた。 「マンションは取り上げられ、払った6000万円も戻ってこない。……俺だけが丸損するのか?」

書類を持つ指先が、白く変色していた。
その封筒は、柏田にとって「利益」の確定通知ではなく、過去の取引そのものを否定する宣告書だった。

📌 本記事の冒頭ストーリーは、事案の説明のために創作したフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

⚖️ 受益者(買主)が背負う「地獄」の構造

今回のケースは、不動産取引における最も恐ろしいリスクの一つです。
詐害行為取消が認められてしまった場合、買主である受益者(柏田さんの会社)は、「物件」と「代金」の両方を失うという最悪の事態に陥る可能性があります。

改正民法における、取消後の「お金とモノの流れ」を整理しましょう。

1. 裁判に負けるとどうなるか?(認容判決の効力)

裁判所が「この売買は詐害行為だ」と認めた場合、その判決の効力は、債務者(柊社長)にも及びます(民法425条)。

これは改正民法で新設されたルールです。 旧民法では「債権者と買主の間だけで無効」という曖昧な処理でしたが、現在は「債務者も含めて、売買契約は最初からなかったことになる(原状回復)」と明確化されました。

つまり、マンションの所有権は、柏田さんの会社から柊社長のもとへ強制的に戻されます。

2. 払った6000万円は取り戻せるのか?

マンションを返還した後、柏田さんが柊社長に支払った6000万円はどうなるのでしょうか。 改正民法425条の2では、以下のように定めています。

  • 受益者(柏田さん)の権利: 債務者(柊)に対し、「マンションを買うために払った代金(反対給付)を返せ」と請求できる。

法律上は、柏田さんには「6000万円を返してもらう権利」が発生します。 しかし、ここには実務上の致命的な罠があります。

3. 最大のリスク:「無い袖は振れない」

法律上の権利があっても、現実にお金が回収できるかは別問題です。
そもそも柊社長は、借金返済に追われてマンションを安値で売却したような状況です。柏田さんから受け取った6000万円は、すでに他の借金返済や運転資金に消えている可能性が極めて高いでしょう。

その結果、どうなるか。

  1. マンション: 詐害行為取消により、柊社長(さらには債権者アルファ社)に取り上げられる。
  2. 6000万円: 柊社長に請求しても「金がない」と言われ、1円も戻ってこない。

これが、受益者が陥る往復ビンタのような被害構造です。

4. 「同時履行」は認められるか?

柏田さんとしては、「6000万円を返してくれるまで、マンションの名義は戻さない!」と言いたいところです(同時履行の抗弁)。 しかし、実務上、これが認められるかどうかは極めて不透明です。

もし同時履行を認めてしまうと、柊社長にお金がない限りマンションが戻らず、詐害行為取消制度の意味がなくなってしまうからです。 最悪の場合、「マンションの返還が先。お金の回収は後(自己責任)」という判断が下されるリスクが高いのです。

🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点

「格安物件」には毒がある

不動産業界では「売り急ぎ物件」はチャンスだと言われます。
しかし、市場価格より明らかに安い物件には、必ず理由があります。売主が経済的に追い詰められている場合、その取引は常に詐害行為取消のリスクを孕んでいます。

今回のケースで最悪のシナリオを回避するには、どうすればよかったのか。 売買契約の前に、「売主の資力調査」と「売却理由の裏付け」を徹底するしかありませんでした。

「なぜこんなに安いのか?」

その問いに合理的な答えがない場合、その甘い蜜には猛毒が含まれている可能性があります。

万が一、巻き込まれてしまった場合は、速やかに柊社長に対して仮差押えなどの手を打つ必要がありますが、失った6000万円を取り戻すのは至難の業です。
「安すぎる不動産売買は、後からすべてを奪われるかもしれない」 このリスクを、経営者は常に肝に銘じておくべきです。

文書作成者

佐藤 嘉寅

弁護士法人みなとパートナーズ代表

プロフィール

平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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