
🏠半値の取引と、笑わない目
「……先生、これ、法律的には通るはずですよね?」
盛本は、口元にうっすらと笑みを浮かべながらそう言った。だが、その目は笑っていない。数字と条文だけを見つめる、不動産屋特有の冷えた視線だった。
「濱田はもう詰んでましたから。」
まるで他人事のように言う。濱田は借金まみれで、債権者に追い詰められていた。唯一の財産は川崎の土地。
「直接買えば、取消されるのは分かってます。でも、間に一社入れれば、話は別でしょう?」
盛本は、当然の前提のように続ける。濱田は事情を知らない同業者キャピタル不動産に土地を売却。価格は相場の半値。
その後、自分がキャピタル不動産から買い取る。名義はきれいに一巡する。
「キャピタル不動産は“善意”。私は善意の第三者から買った転得者です。」
条文をなぞるような口調だった。そこに、罪悪感の影はない。
「改正民法ですよね。受益者が善意なら、後の転得者が悪意でも取消されない。」
弁護士は黙って盛本を見た。盛本は肩をすくめる。
「法律がそう言ってる。だったら、使わない手はないでしょう?」
一瞬の沈黙。弁護士は、鑑定書の査定価格をゆっくりと指で押さえた。
「……“相場の半値”です。」
その言葉に、盛本の表情がわずかに歪んだ。
「不動産のプロが、理由もなく半値で買いますか。裁判所は、キャピタル不動産の“善意”を簡単には信じません。」
盛本は鼻で笑った。
「証明できなきゃ、ただの疑いでしょう?」
その声には、自信というより、賭けに出る者の傲慢さが滲んでいた。
だが弁護士は静かに言った。
「善意の立証をするのは、あなたです。裁判では、“疑われる状況を作った側”が負けることも多いんです。」
盛本は一瞬、視線を伏せた。条文の裏側にある現実が、ようやく輪郭を帯び始めていた。
📌 本記事の冒頭ストーリーは、事案の説明のために創作したフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
⚖️転得者を守る「善意の防波堤」
今回のテーマは、改正民法424条の5で整理された「転得者に対する詐害行為取消」のルールです。
1. 改正民法の新しいルール
改正民法では、財産が人から人へと渡った場合(債務者→受益者→転得者)、転得者に対して取消請求ができる条件を以下のように整理しました。
- 前提条件: 債権者が、まず元の受益者であるキャピタル不動産(以下「C社」)に対して詐害行為取消をできる状態であること 。
- 転得者の要件: その上で、転得者である盛本(以下「D」)自身も、手に入れた時に「これは債権者を害する取引だ」と知っていたこと(悪意) 。
2. 何が変わったのか?
旧民法下では、たとえ間の受益者(C社)が事情を知らない「善意」の人であっても、最終的な転得者(D)が悪意であれば、取引を取り消されるリスクがありました 。
しかし、改正法では「受益者への取消ができること」が前提条件になりました 。
つまり、受益者(C社)が善意であれば、そこで詐害行為の連鎖は断ち切られ、その後の転得者(D)が悪意であっても、取引は取り消されません。
C社が「善意の防波堤」となって、Dを守る構造になったのです 。
| 比較項目 | 旧民法 | 改正民法 |
| 受益者の善意・悪意 | 不問(善意でも取消可能だった) | 善意なら取消不可(ここが重要) |
| 転得者の要件 | 転得者の悪意があれば取消可 | 受益者への取消要件+転得者の悪意が必要 |
⚠️ 最大の誤解:「善意なら守られる」ではなく「善意を証明できれば守られる」
法律の理屈だけを見れば、Dの計画は成功するように見えます。 しかし、裁判という「現実」はそう甘くありません。
最大のリスク:C社の「善意」の立証
今回のケースでDが勝つためには、「C社は本当に事情を知らなかった(善意だった)」ということを、D側が証明しなければなりません 。
ここで問題になるのが、「相場の半値」という事実です 。 裁判官はこう考えます。
- 「不動産のプロであるC社が、理由もなく相場の半値で買えるなんておかしい」
- 「何か裏事情(Bの借金苦など)を知っていたからこそ、この価格だったのではないか?」
このように「不自然に安い価格」は、C社の悪意を推認させる強力な事実となってしまいます 。 もし裁判所が「C社も事情を知っていた(悪意)」と認定すれば、防波堤は決壊し、悪意の転得者であるDへの取消請求が認められてしまいます。
🐯 弁護士 佐藤嘉寅(とら先生)の視点
「条文の知識」と「裁判のリアル」
改正民法は、取引の安定を守るために「善意の受益者」を保護し、その後の転得者も守るという整合性の取れたルールを作りました 。これは旧法の不公平を是正する改正です。
しかし、法律の条文が味方をしてくれても、「事実」を証明できなければ裁判には勝てません。
今回の転得者Dのように、「法律上はセーフなはずだ」と計算して取引を行っても、実務には「立証責任」という重い鉄枷が存在します 。 他人の内心(C社が知っていたかどうか)を証明するのは、「悪魔の証明」に近い難題です 。ましてや、半値取引という疑わしい事情があればなおさらです 。
不動産取引に関わるプロフェッショナルの方々へ。 リスクのある取引を行う際は、「法律の抜け道」を探すのではなく、「取引の正当性を証明できるか」を最優先に考えてください。
- なぜその価格なのか?(価格の合理性)
- 当時の交渉経緯はどうだったか?(メール・議事録)
これらの客観的証拠を残しておくこと。それだけが、法的な要件と立証の現実という二つの荒波から、あなたのビジネスを守る唯一の防御策となるのです 。
文書作成者
佐藤 嘉寅
弁護士法人みなとパートナーズ代表
プロフィール
平成16年10月 弁護士登録
平成25年1月 弁護士法人みなとパートナーズを開設
得意分野:企業間のトラブル、債権回収全般、離婚、相続、交通事故、刑事弁護、サクラサイト被害などの消費者問題にも精通

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